「死ぬまで生きたくない」のだ。「生きているうちに死にたい」のだ。
わたしたちは基本的には「死ぬまで生き」ます。
当たり前のことです。
でもこの「死ぬまで」には、健康で自分らしく生きられる年代のあとに、年老いて、病気になるなど自分らしく生きられなくなる時間が含まれています。
口から食事が食べられなくなったら、食べてもむせ込んで肺炎などを起こしやすいので、直接胃に栄養を入れる栄養投与の方法、胃瘻が施されます。
老衰で体力が弱り呼吸器も弱った時には、人工呼吸器がつけられます。
このような医療行為としての延命治療の他にも
自分でトイレに行けずに、排泄がままならなくなったとき、介助を受けながら排泄することも、広義の意味では延命治療ではないかと思っています。
いずれにしても、現代の日本では、可能な限りの延命治療が行われ、「死ぬまで」生きさせてくれる医療体制になっています。
現代社会は、私たちが自分で死ぬタイミングを決める権利がない社会ともいえます。
もちろん、自分はどんなことをしてでも(されてでも?)1秒でも長く生きたいんだ!という方の意思はもちろん尊重されることで良いと思います。
人類が発展させてきた医療のおかげで、それはどんどん可能になりました。
でも例えば意識もない中で、胃瘻や人工呼吸などにより一分1秒でも長く生きている事は、果たして私たちが望んでいることなのでしょうか。
少なくとも、自分らしく生きていると言う事は全くないと思います。
でも、本人の意識がなくなった状態でも、本人が意思を表現できなくなっている場合に、医師は家族からの要請があれば延命治療を行わないわけにはいきません。
そんな状態で生きることが本人が自分らしい生き方と思っていたのかどうかわからないのにです。
排泄介助も、そこまでしてもらわないといけないのであれば、もう放っておいてくれていいよ、と思う方も多いのではないでしょうか。
「死ぬまで生き」る事は、必ずしも最後の瞬間まで自分らしく生ききれることでは無いのです。
税所が考える、「自分らしく生きる」の最低限は、食物を自分の口で食べる、またトイレに自分で行って排泄できることだと思っています。
これらができなくなったら、もう自分らしく生きているとは言えないので、命を終わりにしたいです。
命の終わるタイミングを自分で決めたいです。死にも自己責任、自己決定の権利が欲しいです。
そう、「死ぬまで生きたくない」のです。「生きているうちに死にたい」からなのです。
【旅行記】2022年12月モルディブ・マレ
昨年12月にモルディブに6日間行ってきました。
ただし、出張なので、行ったのは首都のマレだけです。一般にモルディブに行ったというときの、ビーチリゾートの島々には行っていません。
1 モルディブの地形
まず、モルディブの位置はインドの左下です。
ただし、世界地図を見ても広大なインド洋が青く広がっているだけで、肉眼では見つけられにくいほどです。
インドの下を見ると、右側にスリランカがあります。スリランカは大きな島なので一目瞭然ですが、反対の左側にモルディブがあるという位置関係です。
モルディブは、26の環礁から成る島嶼国で、海抜も2メートルに満たない平坦な島が約1190島散らばっているという、まさに海に点々を描いたような形の国です。
そのうち人が住んでいるのは約200島。
リゾートになっている島は約90島。
そして、9万平方キロメートルの領域のうち99パーセントが海面。
大陸でも、島国でもない非常に特徴のある国の形をしています。
2 日本人の存在感
モルディブといえば新婚旅行で行くイメージです。
このため、経由地シンガポールのチャンギ空港のマレ行きのフライトのゲートで日本人の姿を見かけるのかなと思ったのですが、いませんでした。
基本的には、乗客はモルジブ人が多く、観光客やハネムーンとおぼしき東アジア系の乗客は、韓国人と中国人(もしくは、中国語を話す台湾、香港、シンガポール人)を見かけたくらいです。
帰りのフライトで、やっと新婚旅行の日本人らしいカップ1組をやっと見かけた位でした。
また、同行者によると、マレ島で乗ったタクシーの運転手から日本語で話しかけられ、驚いたたとのこと。
その運転手にきくと、2〜30年前の日本人観光客が多かった時に、リゾート等のホテルで日本人対応のために日本語を学んだ人たちが、日本人観光客が減ったことによって職を失い、今はマレ島でタクシーの運転手など他の仕事をしているそうです。
「なぜ、日本人はもっと来ないんだ」と問い詰められたらしく、日本の凋落を感じ切ないところです。
また、コロナ禍からの観光客の回復においても、韓国人の方が多く、日本人の回復は足取りが鈍いとの事でした。
3 首都マレの様子
首都マレは、マレ島にあります。
首都ためだけの島です。とても小さい島に14万人が暮らし、世界で最も人口密度が高い首都ともいわれています。
そして、マレ国際空港はこの島にはありません。隣の空港島にあります。
このため、空港島とマレ島の移動は、2018年まではフェリーで行き来する必要がありました。
ところが、2018年に中国の支援により空港島とマレ島を接続する海上連絡橋が開通しました。これにより、空港に到着してタクシーに乗れば、15分ほどでマレ島に着きます。
この橋の開通は、マレの交通を一変させるインフラプロジェクトだったことは想像に難くなありません。
この橋の入り口には、アーチがかけられ、中国語で誇らしく、おそらく中国の支援で建設されたとの宣伝文が記されていました
マレ島に入ると、そこはさすがに人口密度が世界一な首都だけに、中層の雑居ビルがぎっしりと密集しています。
島を一周する道路はかろうじて対向車線であるものの、それ以外はビルの谷間に縦横無尽に一方通行の路地裏が張り巡らされている感じです。そして、それらの路地は、車、バイク、通行人で混雑しています。
各ビルの1階には小さなスーパー、カフェ、さらにはバイクの整備工場などが入り、2階以上が住居のようです。
移動手段は、車よりもバイクの方が小回りが利いて便利なのでしょう。。おびただしい数のバイクが走り、また路駐されていて、町歩きには注意が必要です。
ちなみに、バイクのメーカーを見るとホンダ、ヤマハ、スズキと日本メーカーが大多数。
ここでは、観光客の国籍とは、反対に日本の存在感を感じます。
4 モルディブの経済
観光業と水産業が経済の基盤です。一人当たりの名目GDPも南アジアでは最も高くなっています。
水産業では、魚の水揚げの7〜8割がカツオで、1〜2割がマグロです。
ちなみに、モルディブでも鰹節が製造され食べられています。
高度に魚を干す鰹節の技術が、遠く離れたモルディブと日本という2大産地でどのように発展してきたのか、また交流があったのかは定かでは無いようですが、日本よりもモルディブの方が古く発祥の地とされているようです。
いずれにしても、発展途上国と言うよりは、中所得国の趣です。
街を歩いていても貧しい人やホームレスの姿を見かけることもありませんでした。ただし、現地在住の方の話によると、行くとこに行けばホームレスもいるようです。
一方で、夕食に入ったレストランの店員が東南アジア系だったので、聞いてみると、インドネシアからの出稼ぎとのこと。
またファーストフード店員も、陽気で歌を歌うお兄ちゃんだったので、おそらくフィリピン人だったと思います。
低賃金の労働は、出稼ぎ労働者が担い、モルディブ人は、比較的付加価値の高い職業につく経済構造のようです。
厳格なイスラム教の国であるため、お酒は飲めません。女性は、基本的にヒジャブをかぶっています。
もちろん、アルコールはリゾート島に行けば飲むことができます。一方で、マレ島では一切禁止です。
この厳格さは、イスラム教の国の中でも厳しい方らしく、マレ島ではビール一杯も見つけることができませんでした。
島国ゆえ、土地が非常に限定的である宿命として、農産物は輸入に頼ざるをえないのでしょう。
例えばホテルの朝食のオレンジジュースもフレッシュジュースではありませんでした。また、街で見かけたバイクが運搬していた玉ねぎの袋には、南アフリカ産の文字がありました。
5 モルディブの護岸への支援
ほとんどが海抜2メートル以下の小さな島です。
このため、マレや周辺諸島では、1987年から1988年に発生した異常高潮による浸水のため、首都機能が麻痺する被害に見舞われました。
その後、日本の援助により、島全体を取り囲む護岸を整備し、海岸防災機能の強化を図られたそうです。
これにより2004年のスマトラ沖地震の津波では死者が1人も出なかったそうです。
モルディブは、東日本大震災の発生の際、即座に支援の手を挙げてくれました。
政府のみならず、国民からも現金が寄付され、また感謝の思いが詰まった69万個以上のツナ缶が東日本の被災地に届けられたというエピソードがあります。
マレ島のブルーモスクです。イスラム教國であることを思い出させられます。そしてモスクの前にも多くのバイクが路駐していました。
日本のお正月って幸運だよね(単にめでたいよね、という意味だけではないです)
元日やその前後の数日って、絶対に晴れますよね。
東京や、太平洋側だけの話かもしれないので、そうでない地域があったら申し訳ないんだけれども、お正月や大晦日の天気が曇っている、さらには雨だった、という記憶がまーったくありません。
お正月は必ず晴れます。
これって、清々しいし、いかにも新たな年の門出を天候までもが祝ってくれているようで、日本の正月って素晴らしい。
なお、お正月の気温は低くて、寒い事はしょうがないところです。
でもね、さらに冷たい雨が降るなどの気象条件が発生する時期であったとしたら、例えば初詣にいく人はがくっと減っていたのではないでしょうか。
そんな天候に恵まれた日本のお正月ですが、天候に恵まれた時期を年の初めに意図的に設定したわけではないのです。
じゃあなんで、1月1日がこの時期になったのかというと、それは西洋暦がそうなっているからなんですよ。
西洋天文台によると、、、
“日本では、明治の初めまでは別の暦を使っていましたが、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)として、グレゴリオ暦が導入されました。日本においては、このときから、現在の1月1日が1年の最初の日になったのです”
なんだそうです。
つまり、1年のうちのこの日が1月1日になると言う事は、日本の気象条件とは全く関係なく、西洋で設定され、単に日本がそれを採用しただけなんです。
なのに、この晴れ続きの年末年始の天候です!本当に日本のお正月は幸運だといえます。
なんたって、この晴れ続きの天候のおかげでめでたさも倍増、いや100倍増くらいの価値があるんじゃないでしょうか。
もしこれが、今の7月1日あたりが、西暦の一年の初まりという設定になっていたら、毎年お正月は梅雨の中です。
日本人は毎年雨や曇りで新年を迎えないといけなくなっていました。
めでたさは半減どころじゃないですよね。
そして、初詣客を迎える神社業界も、それから、除夜の鐘を次に来る人たちを迎えるお寺業界も、雨なんか降っている場合には、来訪者は激減で、たまったものではなかったでしょう。
業界関係者の皆さん、本当によかったですね!
ところで、さきほどの西洋天文台の説明にもあった通り、江戸時代までのお正月は、西洋暦の1月末頃でした。
まあ1月末頃も、天候はそんなに崩れるイメージはないですね。
でも、江戸時代は今ほど初詣という習慣はなかったようですよ。知らんけど。
やはり西暦になってから、お正月前後が晴天続きであることが、初詣の文化の定着を加速させたのではと睨んでいます。
ちなみに、お正月の前後以外に、晴天がよく続く時期と言えば、5月のゴールデンウィーク明けや、10月の体育の日のタイミングです。
今年は、日本はG7の議長国として広島サミットをホストします。
岸田総理が決断したサミットの設定は5月19-21日です。気象条件が考慮されましたね。
会場になると発表された広島グランドプリンスホテルからは、瀬戸内海の海と島々が美しく見えるでしょう。
一世一代の外交イベントに天候は重要ですから、岸田首相が時期も会場も厳選したのだろうと頷けます。
また、昨年バイデン大統領が来日したり、また、それ以前にトランプ大統領が来日して、安倍元総理とゴルフを楽しんだのもこの時期でした。
外務省は、5月中下旬や10月半ばを外交イベントを日本にホストするための重要なシーズンと位置づけているに間違いありません。
一方で、5月や10月とともに「良い天気」を堪能できるお正月前後は、さすがに各国首脳を含めた皆さんをお正月に働かせるわけにはいかないし、ま、寒いですから、外交イベントの開催時期には向いてないですね。
外交イベントの実施には5月が圧勝です。
お正月は、大きな政治、外交イベントも避けられ、ゆっくり静かに良い天気を堪能できるのもその素晴らしさに拍車をかけています。
いずれにしても日本の正月は幸運です。
「幸せです」と「幸せということなんでしょうね」の圧倒的な距離
あるテレビ番組で、一般の高齢女性が2人とりあげられて、1人は「幸せです」と言い、もう1人は「幸せと言うことなんでしょう」と言っているのを見ました。
この2人、両者とも自分が幸せだ、と同じようなことを言いつつ、でも全く違う心情なんだろうなと感じさせられました。
まず、「幸せです」と言った女性は、なんと御年91歳。
私鉄沿線にある有名な街中華の女将で、91歳になった今でも、現役で厨房に立ち、野菜の下ごしらえから、重い缶に入っている調味料の小分けなどの管理まで細腕でこなし、現役でバリバリ働いている。
ご主人は亡くなっているようだけれども、息子さん夫婦と一緒に店を切り盛りし、お孫さんや、さらにはひ孫までいる模様。
その彼女が、1日の仕事を終えたところで、控えめながら、きっぱりと言っていたのがこの「幸せです」という言葉でした。
91歳にもなれば、もちろん体力の衰えもあるだろうし、実際1日の仕事が終わると疲れると言うことも言っていたので、大変な事は大変でしょう。
でも、毎日厨房に立ち、お客さんのためにおいしい中華料理を作り、それを提供すると言うことに喜びを感じていることが、その言葉にはっきりと込められていることがわかりました。
なお、この中華料理店は事情があり廃業になるとのことで、その閉店を追うドキュメントだったので、廃業すること自体はもちろん残念そうでした。
廃業後の彼女は一緒に店を切り盛りしてきた息子夫婦やお孫さんと暮らすそうですが、「幸せです」と言い切れるようになるのかどうかまでは分かりません。
もう1人の「幸せと言うことなんでしょう」と言っていた女性の放映部分は、途中からしか見ていないので、この女性の、年齢も含めて背景や事情はちょっとよくわかりませんでした。
でも、リフォームされたきれいな家で、同居か近くの別居かよくわからないけれど、娘さん達ともすぐに会える環境で、何不自由なく暮らしている感じの女性でした。
実際横には娘さんらしき方が見守っていました。
ただし、こちらの女性は、特段もう働いておらず、悠々自適の生活という感じでした。
なお、この女性もご主人はもういない模様。
家もある、食べるものもある、着るものもある。そして、ご主人はいないけど、娘さんたちもいるから孤独や孤立をしている老人と言うわけでもない。
端から見れば万々歳な老後で何不自由ない生活に見えます。
その女性がカメラを向けられて、幸せですかと問われた時に、コメントしていた言葉が、この「幸せと言うことなんでしょうね」と言う言葉でした。
「幸せです」、と言ったわけではないんです。
この「幸せと言うことなんでしょうね」、とどこか冷めたような感想を言ったことに、税所は衝撃を受けたのです。
そこには、「世間一般から見れば、恵まれた幸せな生活を送っていると言うことなんでしょうけれども、実は私の心の中では…」というこの女性の心情吐露が垣間見える感じがしたのです。
もちろん、この女性がテレビカメラの前で控えめに、「幸せと言うことなんでしょうね」と言っただけなのかもしれません。本当はものすごく幸せに感じているのかもしれません。
本音はご本人のみぞ知るところです。
でも、やはり彼女の口から「幸せです」ではなく、「幸せと言う事なんでしょうね」と発せられたことは、大きな意味があると思っています。
人間は食事足りて孤独や孤立していなくても、それだけでは必ずしも幸せを感じないのではないのではないか、と言うことを強く感じたのです。
中華料理店の女性のように、自分の能力や技術や特技を活かし、労働などの形で他人のために貢献すると言う環境が、本当の幸せためには必要なんだなということを思わせられました。
恵まれた環境にいる、家も金も時間もある、だけど、必ずしもそれが「幸せだ」と言い切ることにつながらない。
人間は、長年労働することで生きながらえてきました。
そのDNAが私たちの脳みそには、深く深く埋め込まれていて、幸せを感じるには、労働などにより、他の人に役立っている、認められる、有用感を感じることなどが必要だと言うことを強く痛感させられた、「幸せです」と「幸せと言うことなんでしょうね」と言う2つのコメントでした。
結婚は、狂気と脳死と信仰と 〜独身者から見た結婚〜
税所はいい年して結婚していないです。
できなかったというか、する気が起きなかったというか。
まあ、できなかったということでしょう。
そんな独身の税所から見える結婚観、それは、狂気と脳死と信仰なんです。
まず狂気。
それは、一番重要な誰と結婚するかについてです。
みなさんどうやって結婚相手を決めるのでしょうか。
もちろん好き嫌いかなで選んでいくのですが、この人が好きと思っても、もっと探せば、もっと好きな人が見つかるかもしれないと思い始めたらキリがないですよね。
いわゆる青い鳥症候群ですね。
この人が好きで、自分にいちばん合ってるはず。そしてこの人以降には、もうこの人以上の人は現れないって、どうやって決められるの!?
さらには、知識として生い立ちや人柄は知っているけど、今後何十年も暮らすほどには判断する材料が足りないと思う中、ある程度即断が求められるのが結婚ですよね。
こんな見切りをつけるような判断しないといけない行為には、狂気がないとできないと感じます。
裏を返せば、税所が選択が苦手な性格と言うのもあります。
いずれにしても、誰と結婚することが良いか正解なんてないわけです。
候補者全員を比較して、お試しして、一番良かった人と結婚するプロセスとか実施できないわけで。
同棲とかである程度のお試しは可能かもしれませんが、ただそれも人数が限られますよね。
こんな決断をしないといけない結婚相手探し。そこには狂気が必要です。
というかその判断は狂気そのものに見えてしまうのです。
次に脳死。
めでたく結婚しても、相手の顔だけを見て、人生が過ぎ去っていくわけではありません。
生活は続きます。毎日外に出て、仕事場にいったりすると、色んな場面で出会いがあるわけです。
そんな出会いの中で、この人の方が良かった、
いやあっちの人も良いなと少しでも思うような人が出てきたら皆さんどうしてるんでしょうか。
もうそこは、今結婚している相手が一番だと思うしかないわけですよね。まぁ、不倫に走ったり、離婚に至ると言う道を選ぶ方もいるとは思いますが。
一方で、今の婚姻関係を継続させると言う道を選ぶのであれば、それはまさに新たな出会いに対して、もう比較も考えもしない、いまの相手が一番なんだー!と無理やり自分を納得させている脳死状態が必要な気がします。
それとも、結婚生活を続けていると、本当にこの人がベストだったと思うようになるのでしょうか。
いずれにしても、それは、意識的もしくは、無意識的な脳死状態だと見えるのです。
最後に信仰です。
結婚生活は長いです。基本的には両親と過ごす時間よりも長い時間をその相手と過ごすわけです。
それは何十年にもわたる毎日の家事の積み重ねの延長にある老後に、振り返ってこの人と結婚して良かったと思えるように毎日を積み重ねていくことなんだろうなとは想像がつきます。
でも、将来本当にそう思えるのか、後悔が生まれることはないのか。
さらには、そもそもそんな老後が来るのか(仲が良くて離婚しなくても、自分か相手のどちらかが先に死んじゃう可能性もあるわけですし)、わからないわけです。
でも最後に良かったと思えることを信じて、毎日を暮らしていくほかないわけです。
それはもう信仰です。
ちなみに、これは、子育ては祈ること、言う考えにも似ていますね。
さて、ここまで書いて気づいた事は、狂気も脳死も信仰も、必要なのは体力です。
狂気じみた判断をするにもある程度の体力が必要だし、自分を納得させ続けるには、エネルギーが入ります。
そして信仰は、毎日の積み重ね、それはもうその人のエネルギー、パワー、体力と比例する行いですね。
そうか、税所が結婚できないのは、要は体力がないからかもと思い至りました。。。
さて、狂気も脳死も信仰も不要で、幸せな結婚生活を送ってるよー、という方もたくさんいらっしゃると思います。
そんな既婚者の方からの話をぜひお待ちしています。
新宿デパート戦争(伊勢丹新宿店vsタカシマヤタイムズスクエア)
新宿を代表するデパートといえば、伊勢丹新宿店とタカシマヤタイムズスクエア(高島屋)です。両店は何かと対照的で面白いので、比較してみました。
ちなみに、この2店以外の新宿のデパートは小田急百貨店と京王百貨店。これら両店は電鉄系のデパートです。
世界一のターミナルである新宿にデパートが4つしかないのは、意外と少ない印象です。
なお、小田急百貨店と京王百貨店は、電鉄系であり、またそれゆえに毛色が結構違うので、今回の比較の対象から外しています。
1.立地
(伊勢丹新宿店)
新宿東口の商圏のど真ん中に鎮座するのが伊勢丹新宿店。新宿三丁目の交差点から見える外観は、伊勢丹の伊の字のマークとともにアールデコ様式の建物の威容が新宿のランドマークとして有名。
JR新宿駅からは、地下道で直結しているが、徒歩5分以上を要します。最寄りの駅は丸ノ内線でいうと新宿駅ではなく、新宿三丁目駅になります。
これら3線の駅からは地下直結でアクセス可能。まさに、新宿を代表するデパートといえます。
こちらもJR新宿駅の東側に位置するものの、新宿を東西に横断する甲州街道の南側に立地し、新宿東口の商圏からは外れた印象です。
なんといっても住所は渋谷区です。ちなみに、甲州街道が新宿区と渋谷区の境界線です。JR新宿駅も、南口は住所区分は渋谷区となります。
タカシマヤタイムズスクエアは、JR新宿駅の南口とは歩行者デッキと直結しています。このため、JR駅からのアクセスは意外と便利な感じです。
また、伊勢丹新宿店と同様に地下道で地下鉄3線の新宿三丁目駅とは直結しています。
つまり、伊勢丹新宿店とタカシマヤタイムズスクエアは、地下道で相互につながっていて、雨に濡れずに両店のはしご訪問ができます(ただし、両店の間の距離は数百メートルあり、徒歩5分以上は見積もっておいた方が良いです)。
2.歴史
(伊勢丹新宿店)
伊勢丹の開店は1933年と第二次世界大戦前と古いです。あと10年もすれば、100周年で盛大にイベントをやるんでしょうね。
新宿に来るまでは、なんと神田に立地していたらしい。また当時の称号は伊勢谷丹治呉服店。呉服店が発祥であるところが、アパレルに強い伊勢丹を物語っています。
1930年に新宿に移転することを英断。
当時は、新宿から中央線や京王線が西に伸び始め、新宿がターミナル駅として頭角を現してきた頃。また、1923年に関東大震災が発生し、都心西側の地盤の良さが見直されたことが理由らしい。
先見の明があるとはこういうことですね。先行者利益により新宿の中でも抜群の立地を手に入れています。
というか、伊勢丹新宿店を中心として、新宿東口の商圏が発展したということでしょう。
カタカナを前面に押し出した名称からもわかる通り、タカシマヤタイムズスクエアの歴史は浅いです。開店はバブル崩壊後の1996年。伊勢丹新宿店の歴史の半分もないです。
JR新宿駅の改札が、当時は甲州街道の北側で完結していた中、新宿貨物駅の跡地を転用する形で甲州街道の南側の土地に開業。土地のオーナーは国鉄の資産を管理していた清算事業団で、賃借する形でした。
そして、JR新宿駅の改札が、甲州街道の南側に初めて開業したのは遅れること2006年。
このため、当初、JR新宿駅からの利用者がタカシマヤタイムズスクエアに来るには、甲州街道を超える必要がありました。
また、住所は渋谷区、さらにJR代々木駅も近い。開店当初の集客の苦労がしのばれます。実際、開店から赤字続きだったらしいです。
3.建物
(伊勢丹新宿店)
伊勢丹の建物は古い!
なんといっても1933年開業です。アールデコ様式の概観は美しいものの、それは建物の南側と東側のみ。北側及び西側にまわると、建物の老朽化は外見からも否応ない。さすがに補強やら改修は重ねてきているとは思うが、耐震がいつの建築基準に依っているのか心配になるレベル。
また、伊勢丹新宿店といえばメンズ館が有名です。本館とメンズ館は別々の建物なのですが、メンズ館の本館側の入り口は、若干バックヤード的な裏道を渡ったところにあり、往来する際にテンションが下がります。
この両館のアプローチにおける高揚感の確保には工夫が必要でしょう。駐車場も近いので、スタッフが常に誘導しているところ、大変そうだ。
ちなみに本館とメンズ館は地下でも直結しているので、地下道からアクセスすればバックヤード感を味わわなくて済む。
本館とメンズ館とも建物が古い、内装はアップデートされているので古さは感じないが、天井高や通路の幅に窮屈さがある。また、建物自体も7階建てとあまり高くなく、商品の陳列も密度が高い印象。休日などは人込みをかき分ける感じ。
本館の屋上に出ると、アイガーデンという庭園がある。植栽はきれいに整えられているが、周囲の建物のほうが高く、屋上にいても見下ろされている感があり。新宿の眺望を楽しむなどには程遠く、また、空調の音がうるさい。
JRの電車が南側から新宿駅に入線する際に、右手に華やかな外観が目に入る、14階建ての近代的なビルがタカシマヤタイムズスクエアです。さすがは貨物駅の用地を転用しただけありスペース的には制約感がなく設計されている。
入店しても、1階の天井高は2フロア分確保され、開放感があり気持ち良い(なお1階はデパートの例にもれなく化粧品売り場が中心)。
そして、タカシマヤタイムズスクエアの構造的な特徴として大きいのはなんといってもエスカレーター。各フロアに2カ所あるが、これらのエスカレーターが複々線なのである。
どういうことかというと、通常、エスカレーターの上方向と下方向の乗り口はそれぞれ反対側にある(例:上方向の乗り口がある箇所から下に行こうと思ったら、反対側に回らないといけない)複線構造だが、タカシマヤタイムズスクエアのエスカレーターは複々線であるため、どちらの側からも上方向にも下方向にもいけるのである。
あるフロアから、上の階に行きたいときも、下の階に行きたいときも、エスカレーターの反対側にぐるっと回る必要がない。大した時間の差ではないかもしれないが、これがとても便利。
また、伊勢丹新宿店ではメンズ館が別の建物にあったが、タカシマヤタイムズスクエアでは、各フロアの北側がメンズ、南側がレディースで分かれており、例えばレディースは2~5階、メンズは6~7階という従来のデパートの配置より、同フロアでメンズとレディースの両方を見て回れる構造になる。
男女カップルや夫婦の買い物にも向いているといえる。
さらに、レストランなどが入っている12~14階のフロアも、中央エスカレーター部分が吹き抜けとなっており、開放感があり気持ち良い。また、12~14階の高層レベルになると、新宿でも高いほうになり(新宿は西口に高層ビルが林立するが、東口はそれほどない)、窓からの眺望における遮り感もぐっと減り、見通しが良い。
4.品揃え(入っている店舗)
(伊勢丹新宿店)
伊勢丹新宿店は売上高日本一です。2020年の売上高は2740億円。
第2位のうめだ阪急は2412億円とダントツの一位。
そして、伊勢谷丹治呉服店という呉服店の発祥だけあり、ファッション・アパレルに強い。
もちろん大概のブランドは伊勢丹、タカシマヤタイムズスクエアとも変わりはないが、エッジの利いたプレミアムブランドとなると、新宿では伊勢丹だけで扱っているという例が多い。メンズで言えば、例えばダウンジャケットのムーレー。
一方で、ファッション・アパレル以外には、いわゆるデパ地下の食品、化粧品と家具くらい。伊勢丹がファッション・アパレルに特化している戦略が明らかです。
これは、立地が新宿の中心にあり、建物がそれほど大きくないという環境条件に影響されていることも大きい。
なんといっても、店舗から一歩外に出れば、ユニクロも家電も(新宿ビックロ)も、アップルストアも紀伊国屋もすぐにある。また、靖国通りを挟み横はすぐ歌舞伎町、東に行けば新宿二丁目の繁華街、癒しを求めれば新宿御苑もすぐという環境。
つまり、伊勢丹新宿は新宿東口という街を自らの城下に配し、アパレル・ファッションの王として君臨しつつ、新宿の商圏を大きなエコシステムとして街全体を回遊させて購買意欲を掻き立てる戦略なのだ。
一方のタカシマヤタイムズスクエアは、新宿東口の中心からは外れ、また、建物自体はスペースに余裕があるように作られていることを逆手に取り、店舗内に量販店を呼び込み、店舗内で多様多彩なショッピングできるデザインとなっている。
びっくりするのは百貨店としての売上高の小ささ。伊勢丹新宿が日本第1位であったのに対し、こちらは第24位の717億円。
さらに新宿地区でも、第15位の小田急と第19位京王の2つの電鉄系百貨店の後塵を拝している。
伊勢丹はおろか、売上高を競う気は全くなさそう。
ではタカシマヤタイムズスクエアの特徴は何かというと、アパレル、ファッションだけでなく店舗内の縦・横移動により、ユニクロでフリース、ノジマで家電、東急ハンズでキッチングッズを購入するなど、同じ建物内で回遊をさせることだろう。
つまり店舗内のでハイエンドからデフレブランドまで取り揃え、ひとつの商圏エコシステムを構築し、客を飽きさせない仕掛けだ。
買い物の後は、台湾飲茶を楽しむもよし、スーモカウンターでマンション物件相談をするもよし。さらには、建物は別になるが家具のニトリもデッキでつながっている。
なお、12-13階のレストランフロアに東側に突き出た緑豊かなバルコニー部分。都心方向を眺望でき、眼下には新宿御苑の広大な緑が広がる。
というわけで、新宿を代表する2つのデパートである、伊勢丹新宿店とタカシマヤタイムズスクエアの出店の仕方、戦略は実に対照的で面白い。
新宿東口商圏を借景として、ファッション・アパレルを前面に打ち出し特化戦略を図る伊勢丹新宿は、ファッショニスタの聖地だ。伊勢丹新宿店で買ったこと自体が、ステータスであり、経験になるようブランドが確立されている。
一方の店舗内で新宿の多様性と同じくらいのショッピングの多様性を可能にするタカシマヤタイムズスクエアは、家族連れで週末に来て、ファッションだけでなく、家具から家電まで一通りみたい向きにはもってこい。店内が広々しているので、小さな子供連れやお年寄りにも向いていると思う。
このような対照的な2店が、新宿の多様性に一層の花を添えてくれている。
ちなみに、税所のお気に入りは、既にお分かりかと思うがタカシマヤタイムズスクエアです。ファッションに疎いことと人込みが苦手なことからも、伊勢丹新宿は欲しいものをピンポイントに探すときに赴くスタイル。
一方のタカシマヤタイムズスクエアは広々し、また、エスカレーターが充実していることからも店舗内回遊が楽しい。ユニクロもノジマも覗いて、13階のガーデンから新宿御苑を見下ろしてリフレッシュという、(売り上げには貢献していない)使い方がお気に入りなのだ。
やがて哀しき年末帰省
今回の年末年始は、大晦日に実家に帰省して正月3日まで過ごしました。
1.年末年始は相変わらず良い天気である
税所の実家は東海地方にある。
そして、この地方、この時期の天候はとにかく快晴が多い。快晴でないお正月が記憶にないくらいだ。空は晴れやかに澄み渡り、雲一つない日が続きとても気持ち良い。
いや、大晦日に駅に着いた時一瞬だけだが、小雪というか、軽いみぞれのようなものが舞っていた。雪が降ること自体が珍しい。そしてこの小雪もあっという間に降りやんでいた。
この時期の気温は最低0度-最高10度くらいであろう。氷点下になることはめったにない。
ところが、この地域、冬には特有の乾いた風がぴゅーぴゅー吹くのだ。これがかなり厄介者。日中は晴れていて見た目には暖かそうなのだが、一歩外に出ると、この風が全身にあたり、体温を奪っていく。このため、外を歩くと体感温度はかなり低くなる。そして肌は乾燥していく。
一方で陽射しはあるので、風が避けられる屋内で窓ガラス越しに陽を浴びていれば暖かい。つまり、風にさらされるかさらされないかでかなりのギャップが生まれる天候が続く。天候だけは小さいころから変わらない。
それにしても、この時期によくある、豪雪地帯の雪かきや除雪のニュースをみると、つくづく日本は広いと思う。
2.実家は寒い
実家は築40年以上。とにかく寒い。
2階の和室で寝起きしたが、寝る前には温風ヒーターを消す。するとだんだんと布団から出ている顔が寒くなる。寝ていても寒くて起きる。このため2日目は布団を倍増し、顔にもかけてようやく暖をとる。しかしながら、朝起きて布団から出るのが苦痛で仕方がない。
和室の土壁に手を当てると、ひんやりなんてものではなく、冷たい。まったく断熱材が入っていない感触。40年以上前に建てられた家は断熱材がほとんど使われていなかったらしい。
和室だけではない。1階のキッチン、ダイニング、リビングのスペースは2つの石油ストーブで暖めているが、変則的な間取りなこともあり、玄関や洗面、廊下などにつながるドアが多い。これらが頻繁に開け閉めされ、さらには両親が無頓着に開け放しにしたいりするため、熱効率が非常に悪い。
さらに、一戸建てにもれなく風呂場には窓がある。入浴中も寒い。
かつてはこれが普通だと思っていたが、都会に出てマンションに一度住むとその断熱性の高さ(もしくは断熱がされていない一戸建ての寒さ)に気づく。
帰省して気づくのは親が年を取ることだけではない。家も年を取るというわけだ。いや、さらに同様に自分も年を取って寒さが身に応える。
3.ますます交通の便が悪くなっていく
実家はJRの駅から約2キロほど。駅までの交通は、自家用車以外であればバスという住宅街にある。なお、実家のある自治体は、人口は増加しているわけではないがここ数年はほぼ横ばいという、過疎とまではいえない地方だ。
しかしながら、この駅からのバスが、いまや多くても1時間に一本しかないのだ。
幼い頃は1時間に3本くらいあり、ある程度使える市民の足という感覚であった。ところが帰省するたびに少しずつ減便されていることには気づいていた。
そして、いまや、駅についたら下手すると1時間以上待たないといけない。このため、最近は帰省の度にタクシーを使っていた。ところが、なぜか今回はタクシーも駅の乗り場に来ない。大晦日のせいなのかどうかはわからない。2-30分待っても来る気配がないので、寒いし面倒くさくなり。徒歩で実家を目指した。
年末の夕方、自家用車はそれなりに多く行きかう市内の幹線道路をてくてく歩いても、すれ違う人はほぼない。地方では圧倒的に自家用車が足だ。このため駅前の商店街はシャッター商店街状態。歩いてしばらくすると、ユニクロ、サイゼリヤ、しまむらなどの量販店が並ぶ地域にさしかかる。どの店舗も駐車場を備え、買い物客は自家用車で出入りする。自分のような徒歩で来店している人はいない。
東京のように各駅前から商店街が広がり、買い物が便利という常識は全く通じない世界が、日本中でどんどん拡大している。
おまけ
ところで、ぴゅーぴゅー吹く冬の特有の乾いた風を利用して作られるこの地方の名物が干し芋。サツマイモを一度蒸してから乾燥させた保存食である。”干し”芋といいつつ、蒸してあるので水分を含み、乾物のように乾燥して固いわけではない。この干し芋が自然の甘さで超絶うまい。コンビニスイーツもだんだん食べられなくなってきている舌にちょうど良い。帰省の度に自分の食べ物の嗜好も年を取っていることに気づかされるわけだ。