税所(さいしょ)の日記

IQ122(全検査数値)の高機能自閉症”グレーゾーン”の頭の中身。

男性が得か女性が得か。男性が優秀か女性が優秀か。高度知識社会の男女の姿。

男性が得か、女性が得か。

男性が優秀か、女性が優秀か。

 

という男女比較論。

 

まずどちらが得かは、時代によって変わります。

そして、男性受難の時代を迎えているというのが僕の結論です。

 

歴史を遡ってみていきましょう。

 

狩猟採集や農耕時代、さらには産業革命以前の人力主体の製造が主とされていた時代には、一般的には体力・体格が優れている男性の方が、稼ぐ機会もあり、得であったと思います。

 

狩りに行って獲物を仕留めて、持ち帰った男性は、自分への分け前を少し多めに取っておくことなどは容易だったでしょう。

 

そして、女性は基本的には、男性が狩りからなどの生産作業から帰ってくるのを待つしか方法がなく、成果品を恵んでもらう存在だったといえます。

 

つまり、男性の体力・体格がその優位性の源泉だったのです。

 

また、生産面だけでく、軍事や防衛などの分野でも男性は有意です。

国を守るための軍事ではもちろんのこと、そのような大げさな仕事だけでなく、有史以前から村の防衛、つまり、共同体を他の共同体からの襲撃などから守るという防衛業務でも、体力や体格を有する男性が重宝され、活躍をしたことは想像に難くありません。

そうすると、もちろん大変な仕事ではあったとは思いますが、活躍する場があり、ひいては、それに見合う対価が用意されていたことを考えると、単純な家内作業にしか従事できなかった女性に比べれば、何かと男性の方が”トク”であったと考えます。

 

ところが、この男性の体力・体格をもとにした優位性(得であること)は、産業革命を境にして低減し始めます。

 

基本的に人力が全ての動力源であった生産現場に、蒸気機関という圧倒的な動力源が導入されると、女性に比べて優位であったとしても、男性の体力・体格などひとたまりもありません。

 

純化していえば、蒸気機関の作動開始スイッチを押して、始動させるだけの仕事であれば、男性であろうが女性であろうが関係ありません。

 

ここに、男性優位の時代の終わりが始まったと思います。

 

ただし、一足飛びに女性優位の時代が始まったわけではもちろんありません。何よりも文化的には男性の方がスゴイというような考え方が人々の間から払しょくされるには年月がかかります。

 

また生産現場においても、蒸気機関が導入されたとはいえ、その蒸気機関を建設・維持管理するには、まだまだ男性の体力・体格に依存することも多かったでしょう。

また、そのような蒸気機関を導入した生産現場の所有権は男性が引き続き握り、何かと男性優位な場面は残りました。

 

しかし、蒸気機関のみならず、様々な生産革命をへて、男性の体力・体格の優位性は、ゆっくりとながらも着実に奪われていきます。

 

これはどういうことかというと、男性の優位性である体力や体格はテクノロジーによって代替可能であったということです。

 

力が強くなくても、体格が大きくなくても、生産が可能になっていったということです。

そして、現代の通信革命という生産革命も踏まえると、男女における体力・体格の差というのは、生産面においてはほとんど影響がないくらい小さくなりました。

それでは体力・体格以外はどうでしょうか?

むしろ、学力の面では、都立高校入試における「男女の合格最低点に差が生まれ、女子のほうが高くなる傾向がある」などという最近のニュースを見ると、女性の方が優秀なのでは、という推論が生まれます。

そうすると、今後の知識社会では、これまでの男性優位が逆転し、知能の高い女性の方が優位になる可能性が高く、私たちはいまその歴史的転換点に差し掛かっているのかもしれません。

 

つまり、優秀かという議論においても、知識社会という女性の方が優秀と結論付けられる時代に突入しようとしているのだと思います。

次に男女のどちらが得かという議論です。

まず知能面で女性が優秀だからといって、知識社会では必ず得とも限らない制約条件はあります。

まず、女性の場合はなんといっても美醜について判断される存在であることがあげられるでしょう。

見た目が美しいかそうでないか、で、得に結びつく機会・社会制度は依然として強固に社会に存在しています。

TV等のCMに登場する女性モデル、ミスコン、さらにはメークをしないとけいないような社会的圧力などは、男性である僕から見ても、(もちろんそれらのメリットに便乗していることを隠すつもりは全くない中でも)男性に比べて、大変だなと思います。

というか、女性全体を十把一絡げに論じることはできず、女性の中でも得している個体とそうでない個体の個体差があまりにも大きい、という状況でしょうか。

 

もうひとつ、こちらは女性全体として得ではないこと制約条件として、女性は出産をする性と”決められていること”だと思います。

ここでは、出産を否定しているわけではもちろん全くなく、出産にとられる時間の機会的損失を指しています。

出産はそれを希望する女性にとっては素晴らしい経験でしょうし、また、男女双方の人類の存続にとって大きい貢献ですが、問題はそのメリットを享受する個体と、負担を負う個体=妊婦個人に大きなズレがあることです。

出産に費やされる時間を、もっと楽しいことやキャリアに割きたいと願う女性がいても、それは現状無理です。他の女性や、言わんをや男性が肩代わりすらしてあげられません。

妊娠・出産・授乳には女性個人がある程度時間を割くことが否応なく求められます。

 

さて、それでは、女性よりも男性の方が優秀だけど、得ではないという時代が続くのでしょうか。

 

僕は、男性にも、上で述べた女性の美醜や出産という不利面に匹敵する、不利な要素があると思います。

 

まず、男性は犯罪に関与する割合が圧倒的に高いです。

 

犯罪白書によると令和元年に検挙された刑法犯19万人の内訳は8割が男性、2割が女性と、圧倒的な男性多数となっています。

 

この男性がより犯罪に加担する理由は、生物学的、社会学的に様々な理由が考えられますが、ひとつは、男性のテストステロン過剰が「けんかっぱやく」なっていることがいわれます。

つまり、男性も自分の努力や自制心だけではどうにもできない運命を内に秘めているのです。

これは男性が持って生まれた不利な気質といえます。

また、テストステロンは性衝動にも関係あります。

男性の方が乱交的であり、性欲に支配されがちな傾向は、女性同性愛者が、女性を性的対象とするのに、ほとんど乱交的にならないことからも、性的指向にかかわらず男性性がもってうまれた宿命であることがわかります。

女性が性欲を自制して学ぶあいだに、男性が自慰で時間を浪費する、なんてことも頻繁に起こっていると思います。

さらには、自閉症ソーシャルスキルの欠如と反復的な行動を特徴とする発達障害で、全人口の1%以上がなるものの、長年、男児の方が診断される確率が高いとして知られています。

対人コミュニケーションを苦手とする自閉症的傾向が男性の方に多い、つまり、女性の方が総じてコミュニケーション能力が高いということは、今後の知識社会において、女性が優位になるという大きな示唆を与えます。

 

このように、男性も女性もそれぞれに制約を抱えている中で、やはり時代は、少しずつ女性優位に変化していくものと思います。

 

ただし、美醜の問題や、自閉的傾向を有するかどうかなどは、男性や女性のそれぞれのカテゴリーの中でも個体差が大きい問題です。

 

このため、ぶっちゃけてしまえば、美しく産まれ、コミュニケーション能力がばっちりな女性が知識社会では有利になり活躍しつつ、出産・育児の決断には悩み、一方で、無駄な体力・体格を有しつつ、コミュニケーション能力のない男性が、行き場のない喧嘩魂と性欲を持て余すのが、高度知識社会の男女のデフォルメされた姿であり、それは僕たちが現代社会ですでに目撃しているものかもしれません。