子育てとは祈ること
子育てをしたことがないので、子育て中の方を尊敬します。
夫婦であれ、またさらに、シングルファーザーやシングルマザーであればなおさら、傍から見ていると、子育てって本当に大変そうに見えます。
子育てをしたことがないので、想像だけですが、子育ての中で僕にとって一番大変そうだなと思うのは、乳児期の夜鳴きです。
2時間おきに泣かれて、そのたびに授乳しないといけない、などと聞くと、睡眠時間が重要な自分にとって、子育てはムリだなと思っています。
もちろん、僕が授乳できるわけではないですが、夜中に赤ちゃんが泣き出して、女性の配偶者が眠い体に鞭打って対応しようとすれば、同じ家の中にいる僕も物音で起きてしまうでしょう。
また、女性のほうだけにそんな負担を負わせている申し訳なさから、僕自体も再び眠りにつくことが難しくなることもあります。
次に大変そうなのは、やはり、ある程度の年齢まで(最低でも10年?でしょうか)毎日食事を与えることです。
この大変さは、食事を作るために、食材を購入するための原資を稼ぐこと(=勤労)から始まり、それ以上に、毎日少なくとも2食は栄養バランスを考えつつ、なんらかの食事をつくり与える、その手間と時間です。
特に幼児期であれば、食事を与えるか与えないかは生死に直結しそうなので、人の生殺与奪を握っているに等しいです。
実際に、ネグレクトなどで食事を与えないで亡くなった子供のニュースを聞くと、それだけでも責任の重大さを感じます。
ちなみに、僕の同僚で、一人目の娘さんが3歳くらいになったパパが、「とりあえずそんなに簡単に子供は死なないことがわかった」と言って、2人目の妊娠・出産の決断に踏み切ったことを話してくれ、とても印象的でした。
このコメントには、そういう感慨になるのか!?とも一瞬思いましたが、乳児期に毎日食事を与えて、適切なケアをして、死なないようにするというのは相当なプレッシャーがあるんだろうな、と妙に納得したのを覚えています。
ところで、最近、子育てで大変なことは、食事を与えること、お金をかけること、また、愛情をかけることとも少し違うんじゃなかろうか、と気づくことがありました。
それは、食事の準備をしていたときです。
食事を準備するために、野菜を切って、煮たり、炒めたり、焼いたりする時間は、なんとなく幸せだけど、でも、基本的は孤独で単調な作業で、また段取りや調理方法が頭の中にあるつもりでも、実は意識では誰か人のことを考えていることに気づいたのです。
その考えている誰かは、これから一緒に食べる誰かであったり、一緒に食べたかった誰かであったり、もしくは、自分が幼いころに食事を作ってくれた思い出の中の誰かであったりするわけです。
そしてそこからなんとなく感じたのは、子育てとは、こんな風に誰かを思うことを何年も続けることではなかろうかということでした。
もちろんその誰かは、子育てをしている子供のことで、どこか別にいる誰かではないのですが、常に子供のことを思いながら、なんとなく孤独で単調で辛い作業を毎日毎日、何年にもかけて継続するものです。
そしてそれは祈ることに近いもの、もしかしたら祈りそのものの行為ではないのだろうかと思うのです。
逆に言えば祈りがあるからこそ、そのような単調で孤独な作業にも耐えられるのではないかと。
人間の子供が成人するまでには、約20年と言う年月を要します。
妊娠期間を含めると、この期間はもっと長くなります。
子育ては、子供が約20年後の成人を迎えるまで、長期にわたり世話することにコミットしないといけないプロジェクトです。
さらに、そのプロジェクトは成功するかどうかなど誰にもわかりません。20年の期間終了を迎えるまでに、残念ながら強制終了を迎えるプロジェクトもあります。
また、20年後にどのようになったら成功といえるのか基準も良くわかりません。
もちろん、人の価値観なんてそれぞれ、自分で成功したと納得できればそれでよいのです。
そうなると、今この目の前にいる泣き止まない子供に授乳しても泣き止まない時、または、せっかく用意した食事なのに不味いといわれた反抗期の子供に言われたとき、食事の準備から皿洗いなどの片付けなどの、単調で孤独な作業はどうしたら報われたといえるのでしょうか。
そんな言うことも聞かない、お礼も言わない相手に対する作業であれば、投げ出したくなったりしないのでしょうか。
それを投げ出さずに続けられるのは、祈りに近い思いがあるからでしょう。
おそらく、食事の準備や皿洗いをしているあなたが思っているのは、目の前にいる泣き止まない子供や、反対に、おいしかったと笑ってご馳走様を言う子供というよりは、5年後、10年後、15年後に成人する子供の姿ではないかと思います。
また、妊娠期間もなおさらそうでしょう。10ヵ月後に生まれてくる子供の顔姿もわからないけど、さらには、無事に生まれてくるかもわからないけど、妊娠という辛くて不便な生活に耐えられるのは、元気な赤ちゃんが生まれるようにとの祈りがあるからでしょう。
そして産まれてからは、5年、10年、15年どころか20年の長きにわたり、食事を準備し、食べた後の皿を荒い、汚れた体操着を洗い、部屋を掃除をするなどの単調な作業を続けられる裏には、子供が成長して成人し、その後の長い人生を自ら力強く生きていけるようにという強い祈りがあるからだと思います。