税所(さいしょ)の日記

IQ122(全検査数値)の高機能自閉症”グレーゾーン”の頭の中身。

自分の意志で生まれてきた人は一人もいないという事実

「みんな望まれて生まれてきたんやでえ」という、とある映画のキャッチコピーが物議をかもしているようですね。

 

Twitterハッシュタグでは、このキャッチコピーに対して「親にお前なんて生まなきゃ良かったといわれて育った」、「児童養護施設に行って、児童の前でそのセリフいえるか」、など、散々に批判されています。

 

僕もこのキャッチコピーは有り得ないなと思います。

 

まず、単純に事実として証明できないですね、本当にみんな望まれ生まれてきたのかどうかを。

 

できちゃった婚」などという言葉があり、望まなかった妊娠・出産が存在する事は明らかです。

 

もちろん、「できちゃった婚」で、妊娠を認識した後に「望む」出産に変化することは十分にあると思います。なにしろ、妊娠を契機に結婚を決意するに至ったわけですから、子供は望まれで生まれてきたことになります。

 

でもその場合でも、必ず100%望まれた形になるとも限りません。不本意さが残る出産はまだあると思います。

 

また、望まない性行為で強制的に妊娠というのもあります。いわゆる強制された性行為の結果ですが、その場合でも何らかの理由で堕胎という選択肢が選べなかったものもあると思います。

そして、更なる問題は、「望まれて生まれてきた」から何?というのがあります。

「みんな望まれて生まれてきたんやでえ」と言い切られてしまうと、まるで、だからお前「幸せなはずや」とか「頑張れるはずや」と、有無をいわさず背中を押されている感がするところが問題なんだと思います。

なぜなら、「望まれて生まれてきたこと」は出産時点での結果論であり、その後の人生に100%連関するものではありません。

もちろん、「望まれて生まれてきたこと」は、父母が知力・財力もそれなりしっかりしていて、恵まれた環境で子育て期間を過ごせることを意味するかもしれません。そうであれば子供時代に手厚いサポートを受けられ、幸せな子供時代をすごす事もできそうです。

しかしながら、成人してからも、「望まれて生まれてきたこと」が、必ずしも幸せを意味するわけではないことは明らかです。

また、面倒くさいのは、「望まれて生まれてきたこと」の望まれたのは妊娠、乳児期の自分だっただけかもしれない可能性もあるということです。

「赤ちゃんが欲しかった」、「子供を産むというステータスが欲しかった」と考えていたけど、産んで子供が大きくなったら、内心、子供なんで産まなきゃ良かったと思っているオトナもいるのではないでしょうか。

まさに、子犬の頃は可愛いから飼ってみたけど、成犬になった犬はそれほど愛くるしくもないし、老犬まで世話をするのも大変だから捨ててしまうのに似ています。

このように、「みんな望まれて生まれてきたんやでえ」と殊更なポジティブなトーンで言われることに対する反発心は、このフレーズに含まれるうそ臭さに由縁すると思います。

なにより、明石屋さんまさんがプロデュースだからか、関西弁にしてオブラートに包んで受け入れやすそうにしていること自体がさらに、イラっとさせる要因だと思います。

標準語で「みんな望まれて生まれてきたんですよ」と言われるとすると、説教臭くて到底受け入れられないところを、関西弁にしてほっこりさせてみました、という感じがなおさら鼻につくのです。

ではどうすればよかったのでしょうか。

僕は「自分の意志で生まれてきた人は一人もいない」ということを言えばよかったのだと思います。

関西弁にするとしたら「自分から生まれてきたかった人はいないんやでえ」でしょうか。

まず、「自分の意志で生まれてきた人は一人もいない」というのは、これは紛れもない事実です。

自分から、よし生まれようと決意して、この世に誕生した人は誰一人としていません。誰もが、両親による生殖行為の結果として(少数の生殖医療も含み)、意志とは関係なくこの世に誕生したのです。

この点は誰も反論のしようがありません。事実です。

例えば、インスタグラムにリア充な日常を投稿し続ける自信満々そうに見えるインフルエンサーも、新宿中央公園ダンボールで寝泊りしているホームレスも、「自分の意志で生まれてきたわけではない」事は確実にどちらにとっても事実です。

容姿端麗で、恵まれた家庭環境の下にうまれてインフルエンサーになったのは、物心ついた後は自分の意志が働いたでしょうが、生まれ自体は他人(両親)任せの決断で、本人は何もかかわっていないのです。

また、ホームレスの男性も、なぜ新宿中央公園にたどり着いたかについては本人の意思に拠る面もそれなりにあったかもしれませんが(これも、本人に責のない障害の一部とは思いますが、その話はまた)、生まれは他人任せで、本人の意思や責任とは何の関係もない点は、インフルエンサーとなんら変わりありません。

誰もがみな、自分の意志で生まれてきたわけではない中、また自分で選べなかった生まれた条件を抱えながら一生懸命生き、あるものは途中で息絶え、残されたものは生きながらえていること、これこそが、もっと認識されて、互いに讃えて然るべきことではないでしょうか。

「自分の意志で生まれてきた人は一人もいない」というと、一見なにかネガティブな感じもするかもしれません。

でも、「自分の意志で生まれてきた人は一人もいない」というメッセージには、そんな中で「誰もが、一生懸命生きているんやでえ」というメッセージが続きます。

こうすれば、批判されることなく、頑張っていこうや!というポジティブなメッセージをマーケットに送れたんじゃないかなと思います。

映画見てないから知らんけど。