税所(さいしょ)の日記

IQ122(全検査数値)の高機能自閉症”グレーゾーン”の頭の中身。

やがて哀しき年末帰省

今回の年末年始は、大晦日に実家に帰省して正月3日まで過ごしました。

 

1.年末年始は相変わらず良い天気である

税所の実家は東海地方にある。

そして、この地方、この時期の天候はとにかく快晴が多い。快晴でないお正月が記憶にないくらいだ。空は晴れやかに澄み渡り、雲一つない日が続きとても気持ち良い。

いや、大晦日に駅に着いた時一瞬だけだが、小雪というか、軽いみぞれのようなものが舞っていた。雪が降ること自体が珍しい。そしてこの小雪もあっという間に降りやんでいた。

この時期の気温は最低0度-最高10度くらいであろう。氷点下になることはめったにない。

ところが、この地域、冬には特有の乾いた風がぴゅーぴゅー吹くのだ。これがかなり厄介者。日中は晴れていて見た目には暖かそうなのだが、一歩外に出ると、この風が全身にあたり、体温を奪っていく。このため、外を歩くと体感温度はかなり低くなる。そして肌は乾燥していく。

一方で陽射しはあるので、風が避けられる屋内で窓ガラス越しに陽を浴びていれば暖かい。つまり、風にさらされるかさらされないかでかなりのギャップが生まれる天候が続く。天候だけは小さいころから変わらない。

それにしても、この時期によくある、豪雪地帯の雪かきや除雪のニュースをみると、つくづく日本は広いと思う。

 

2.実家は寒い

実家は築40年以上。とにかく寒い。

2階の和室で寝起きしたが、寝る前には温風ヒーターを消す。するとだんだんと布団から出ている顔が寒くなる。寝ていても寒くて起きる。このため2日目は布団を倍増し、顔にもかけてようやく暖をとる。しかしながら、朝起きて布団から出るのが苦痛で仕方がない。

和室の土壁に手を当てると、ひんやりなんてものではなく、冷たい。まったく断熱材が入っていない感触。40年以上前に建てられた家は断熱材がほとんど使われていなかったらしい。

和室だけではない。1階のキッチン、ダイニング、リビングのスペースは2つの石油ストーブで暖めているが、変則的な間取りなこともあり、玄関や洗面、廊下などにつながるドアが多い。これらが頻繁に開け閉めされ、さらには両親が無頓着に開け放しにしたいりするため、熱効率が非常に悪い。

さらに、一戸建てにもれなく風呂場には窓がある。入浴中も寒い。

かつてはこれが普通だと思っていたが、都会に出てマンションに一度住むとその断熱性の高さ(もしくは断熱がされていない一戸建ての寒さ)に気づく。

帰省して気づくのは親が年を取ることだけではない。家も年を取るというわけだ。いや、さらに同様に自分も年を取って寒さが身に応える。

 

3.ますます交通の便が悪くなっていく

実家はJRの駅から約2キロほど。駅までの交通は、自家用車以外であればバスという住宅街にある。なお、実家のある自治体は、人口は増加しているわけではないがここ数年はほぼ横ばいという、過疎とまではいえない地方だ。

しかしながら、この駅からのバスが、いまや多くても1時間に一本しかないのだ。

幼い頃は1時間に3本くらいあり、ある程度使える市民の足という感覚であった。ところが帰省するたびに少しずつ減便されていることには気づいていた。

そして、いまや、駅についたら下手すると1時間以上待たないといけない。このため、最近は帰省の度にタクシーを使っていた。ところが、なぜか今回はタクシーも駅の乗り場に来ない。大晦日のせいなのかどうかはわからない。2-30分待っても来る気配がないので、寒いし面倒くさくなり。徒歩で実家を目指した。

年末の夕方、自家用車はそれなりに多く行きかう市内の幹線道路をてくてく歩いても、すれ違う人はほぼない。地方では圧倒的に自家用車が足だ。このため駅前の商店街はシャッター商店街状態。歩いてしばらくすると、ユニクロサイゼリヤしまむらなどの量販店が並ぶ地域にさしかかる。どの店舗も駐車場を備え、買い物客は自家用車で出入りする。自分のような徒歩で来店している人はいない。

東京のように各駅前から商店街が広がり、買い物が便利という常識は全く通じない世界が、日本中でどんどん拡大している。

 

おまけ

ところで、ぴゅーぴゅー吹く冬の特有の乾いた風を利用して作られるこの地方の名物が干し芋。サツマイモを一度蒸してから乾燥させた保存食である。”干し”芋といいつつ、蒸してあるので水分を含み、乾物のように乾燥して固いわけではない。この干し芋が自然の甘さで超絶うまい。コンビニスイーツもだんだん食べられなくなってきている舌にちょうど良い。帰省の度に自分の食べ物の嗜好も年を取っていることに気づかされるわけだ。