結婚は、狂気と脳死と信仰と 〜独身者から見た結婚〜
税所はいい年して結婚していないです。
できなかったというか、する気が起きなかったというか。
まあ、できなかったということでしょう。
そんな独身の税所から見える結婚観、それは、狂気と脳死と信仰なんです。
まず狂気。
それは、一番重要な誰と結婚するかについてです。
みなさんどうやって結婚相手を決めるのでしょうか。
もちろん好き嫌いかなで選んでいくのですが、この人が好きと思っても、もっと探せば、もっと好きな人が見つかるかもしれないと思い始めたらキリがないですよね。
いわゆる青い鳥症候群ですね。
この人が好きで、自分にいちばん合ってるはず。そしてこの人以降には、もうこの人以上の人は現れないって、どうやって決められるの!?
さらには、知識として生い立ちや人柄は知っているけど、今後何十年も暮らすほどには判断する材料が足りないと思う中、ある程度即断が求められるのが結婚ですよね。
こんな見切りをつけるような判断しないといけない行為には、狂気がないとできないと感じます。
裏を返せば、税所が選択が苦手な性格と言うのもあります。
いずれにしても、誰と結婚することが良いか正解なんてないわけです。
候補者全員を比較して、お試しして、一番良かった人と結婚するプロセスとか実施できないわけで。
同棲とかである程度のお試しは可能かもしれませんが、ただそれも人数が限られますよね。
こんな決断をしないといけない結婚相手探し。そこには狂気が必要です。
というかその判断は狂気そのものに見えてしまうのです。
次に脳死。
めでたく結婚しても、相手の顔だけを見て、人生が過ぎ去っていくわけではありません。
生活は続きます。毎日外に出て、仕事場にいったりすると、色んな場面で出会いがあるわけです。
そんな出会いの中で、この人の方が良かった、
いやあっちの人も良いなと少しでも思うような人が出てきたら皆さんどうしてるんでしょうか。
もうそこは、今結婚している相手が一番だと思うしかないわけですよね。まぁ、不倫に走ったり、離婚に至ると言う道を選ぶ方もいるとは思いますが。
一方で、今の婚姻関係を継続させると言う道を選ぶのであれば、それはまさに新たな出会いに対して、もう比較も考えもしない、いまの相手が一番なんだー!と無理やり自分を納得させている脳死状態が必要な気がします。
それとも、結婚生活を続けていると、本当にこの人がベストだったと思うようになるのでしょうか。
いずれにしても、それは、意識的もしくは、無意識的な脳死状態だと見えるのです。
最後に信仰です。
結婚生活は長いです。基本的には両親と過ごす時間よりも長い時間をその相手と過ごすわけです。
それは何十年にもわたる毎日の家事の積み重ねの延長にある老後に、振り返ってこの人と結婚して良かったと思えるように毎日を積み重ねていくことなんだろうなとは想像がつきます。
でも、将来本当にそう思えるのか、後悔が生まれることはないのか。
さらには、そもそもそんな老後が来るのか(仲が良くて離婚しなくても、自分か相手のどちらかが先に死んじゃう可能性もあるわけですし)、わからないわけです。
でも最後に良かったと思えることを信じて、毎日を暮らしていくほかないわけです。
それはもう信仰です。
ちなみに、これは、子育ては祈ること、言う考えにも似ていますね。
さて、ここまで書いて気づいた事は、狂気も脳死も信仰も、必要なのは体力です。
狂気じみた判断をするにもある程度の体力が必要だし、自分を納得させ続けるには、エネルギーが入ります。
そして信仰は、毎日の積み重ね、それはもうその人のエネルギー、パワー、体力と比例する行いですね。
そうか、税所が結婚できないのは、要は体力がないからかもと思い至りました。。。
さて、狂気も脳死も信仰も不要で、幸せな結婚生活を送ってるよー、という方もたくさんいらっしゃると思います。
そんな既婚者の方からの話をぜひお待ちしています。