【旅行記】2022年12月モルディブ・マレ
昨年12月にモルディブに6日間行ってきました。
ただし、出張なので、行ったのは首都のマレだけです。一般にモルディブに行ったというときの、ビーチリゾートの島々には行っていません。
1 モルディブの地形
まず、モルディブの位置はインドの左下です。
ただし、世界地図を見ても広大なインド洋が青く広がっているだけで、肉眼では見つけられにくいほどです。
インドの下を見ると、右側にスリランカがあります。スリランカは大きな島なので一目瞭然ですが、反対の左側にモルディブがあるという位置関係です。
モルディブは、26の環礁から成る島嶼国で、海抜も2メートルに満たない平坦な島が約1190島散らばっているという、まさに海に点々を描いたような形の国です。
そのうち人が住んでいるのは約200島。
リゾートになっている島は約90島。
そして、9万平方キロメートルの領域のうち99パーセントが海面。
大陸でも、島国でもない非常に特徴のある国の形をしています。
2 日本人の存在感
モルディブといえば新婚旅行で行くイメージです。
このため、経由地シンガポールのチャンギ空港のマレ行きのフライトのゲートで日本人の姿を見かけるのかなと思ったのですが、いませんでした。
基本的には、乗客はモルジブ人が多く、観光客やハネムーンとおぼしき東アジア系の乗客は、韓国人と中国人(もしくは、中国語を話す台湾、香港、シンガポール人)を見かけたくらいです。
帰りのフライトで、やっと新婚旅行の日本人らしいカップ1組をやっと見かけた位でした。
また、同行者によると、マレ島で乗ったタクシーの運転手から日本語で話しかけられ、驚いたたとのこと。
その運転手にきくと、2〜30年前の日本人観光客が多かった時に、リゾート等のホテルで日本人対応のために日本語を学んだ人たちが、日本人観光客が減ったことによって職を失い、今はマレ島でタクシーの運転手など他の仕事をしているそうです。
「なぜ、日本人はもっと来ないんだ」と問い詰められたらしく、日本の凋落を感じ切ないところです。
また、コロナ禍からの観光客の回復においても、韓国人の方が多く、日本人の回復は足取りが鈍いとの事でした。
3 首都マレの様子
首都マレは、マレ島にあります。
首都ためだけの島です。とても小さい島に14万人が暮らし、世界で最も人口密度が高い首都ともいわれています。
そして、マレ国際空港はこの島にはありません。隣の空港島にあります。
このため、空港島とマレ島の移動は、2018年まではフェリーで行き来する必要がありました。
ところが、2018年に中国の支援により空港島とマレ島を接続する海上連絡橋が開通しました。これにより、空港に到着してタクシーに乗れば、15分ほどでマレ島に着きます。
この橋の開通は、マレの交通を一変させるインフラプロジェクトだったことは想像に難くなありません。
この橋の入り口には、アーチがかけられ、中国語で誇らしく、おそらく中国の支援で建設されたとの宣伝文が記されていました
マレ島に入ると、そこはさすがに人口密度が世界一な首都だけに、中層の雑居ビルがぎっしりと密集しています。
島を一周する道路はかろうじて対向車線であるものの、それ以外はビルの谷間に縦横無尽に一方通行の路地裏が張り巡らされている感じです。そして、それらの路地は、車、バイク、通行人で混雑しています。
各ビルの1階には小さなスーパー、カフェ、さらにはバイクの整備工場などが入り、2階以上が住居のようです。
移動手段は、車よりもバイクの方が小回りが利いて便利なのでしょう。。おびただしい数のバイクが走り、また路駐されていて、町歩きには注意が必要です。
ちなみに、バイクのメーカーを見るとホンダ、ヤマハ、スズキと日本メーカーが大多数。
ここでは、観光客の国籍とは、反対に日本の存在感を感じます。
4 モルディブの経済
観光業と水産業が経済の基盤です。一人当たりの名目GDPも南アジアでは最も高くなっています。
水産業では、魚の水揚げの7〜8割がカツオで、1〜2割がマグロです。
ちなみに、モルディブでも鰹節が製造され食べられています。
高度に魚を干す鰹節の技術が、遠く離れたモルディブと日本という2大産地でどのように発展してきたのか、また交流があったのかは定かでは無いようですが、日本よりもモルディブの方が古く発祥の地とされているようです。
いずれにしても、発展途上国と言うよりは、中所得国の趣です。
街を歩いていても貧しい人やホームレスの姿を見かけることもありませんでした。ただし、現地在住の方の話によると、行くとこに行けばホームレスもいるようです。
一方で、夕食に入ったレストランの店員が東南アジア系だったので、聞いてみると、インドネシアからの出稼ぎとのこと。
またファーストフード店員も、陽気で歌を歌うお兄ちゃんだったので、おそらくフィリピン人だったと思います。
低賃金の労働は、出稼ぎ労働者が担い、モルディブ人は、比較的付加価値の高い職業につく経済構造のようです。
厳格なイスラム教の国であるため、お酒は飲めません。女性は、基本的にヒジャブをかぶっています。
もちろん、アルコールはリゾート島に行けば飲むことができます。一方で、マレ島では一切禁止です。
この厳格さは、イスラム教の国の中でも厳しい方らしく、マレ島ではビール一杯も見つけることができませんでした。
島国ゆえ、土地が非常に限定的である宿命として、農産物は輸入に頼ざるをえないのでしょう。
例えばホテルの朝食のオレンジジュースもフレッシュジュースではありませんでした。また、街で見かけたバイクが運搬していた玉ねぎの袋には、南アフリカ産の文字がありました。
5 モルディブの護岸への支援
ほとんどが海抜2メートル以下の小さな島です。
このため、マレや周辺諸島では、1987年から1988年に発生した異常高潮による浸水のため、首都機能が麻痺する被害に見舞われました。
その後、日本の援助により、島全体を取り囲む護岸を整備し、海岸防災機能の強化を図られたそうです。
これにより2004年のスマトラ沖地震の津波では死者が1人も出なかったそうです。
モルディブは、東日本大震災の発生の際、即座に支援の手を挙げてくれました。
政府のみならず、国民からも現金が寄付され、また感謝の思いが詰まった69万個以上のツナ缶が東日本の被災地に届けられたというエピソードがあります。
マレ島のブルーモスクです。イスラム教國であることを思い出させられます。そしてモスクの前にも多くのバイクが路駐していました。