税所(さいしょ)の日記

IQ122(全検査数値)の高機能自閉症”グレーゾーン”の頭の中身。

誰もが語り部になる時代

テレビを見ていたら、静岡で徳川家康語り部をやっているという女性がいました。ちらっとしか見なかったので、詳しくはよくわかりませんが、徳川家康人間性を崇拝していて、いろんな人に伝えたくて仕方がない、という感じが良くわかりました。

僕は徳川家康にはほとんど関心がありません。このため、この女性を見た感想は、まず人間の関心って本当に多様だなということですが、本題はどちらかというと、語ることがある人は強いなとおもわされたことです。

語れる人、もしくはストーリーテラーは人をひきつけます。徳川家康に関心があれば、その内容に引き付けられますし、関心がなくても、この人はどうして家康に関心があるんだろうと考えさせられることになります。

すくなくとも何も語らないひとよりは、人を引き付けることは確実です。

ところで、「語り部」と聞くと、僕は真っ先に、戦争の悲惨さを後世に伝えるために、被爆者の方が学校を回り、若い人たちに如何に戦争が悲惨であり、また、原爆の被害が恐ろしいかを伝える姿を思い浮かべます。

それくらい、「語り部」というのは、(特にネガティブな)特別な経験をした人が信念に突き動かされて、その経験を語るためにやるというイメージがあったのですが、この徳川家康語り部の人を見て、考えが改まりました。

まず、個々人の関心が多様であることは昔からの人間の特性で変化はないかもしれません。家康に関心がある人、ない人、はそれぞれ昔もいたと思います。

ところが、現代社会はどんどん複雑化・高度化していきます。そうすると人々の関心の向き先が増えていることになります。関心が細分化されます。

そして、人々の生き方も急速に多様化すると、生きていくうえで得られる経験もさらに多様化します。また人々の生き方は関心に作用されて方向付けられていくことも多いでしょう。

そして、これを関心×経験の掛け算で考えると、個人が語れることは等比級的に数を増やしていっていることとなります。

とこが、これだけでは、まだまだ誰もが語り部になれるわけではありません。

徳川家康語り部の女性は、家康のゆかりの地である静岡で、カフェかなんかを開いて人々に語っているようでした。そこには、家康にある程度関心がある人が集まってくるでしょう。

また、原爆の語り部は基本的には広島や長崎を中心に活動していると思います。広島や長崎であれば、市役所や教育委員会が中心に、市民や学生のために語り部が語る機会を設けるなどのアレンジも、定期的に行われるのだと思います。

このように従来の語り部は聞いてくれる人が、物理的に集まることで成り立ちました。

しかし、例えば遠方に関心がある人にはアクセスできなかったのです。北海道に住む徳川家康ファンは基本的には静岡まで旅行しないと、家康の語り部の話は聞けないし、いわんをや語り部の存在にすら気づかなかったかもしれません。

それを変えたのが、SNSの発達です。このブログもそうですし、動画、音声などで個人が発信できる環境が整ったことで、誰もが聞いてくれる人を持つこと、すなわち語り部稼業ができるようになりました。

もちろん、語り部として発見されて、また、語る内容を評価してくれるかどうかは別の話ですが、少なくとも環境は整ったということです。

最後に語り部というと、依然として、「後世に伝承していくため」というイメージがあり大げさかもしれません。

後世に伝承する必要はなくても、自分の考えをリアルだけでなく、SNSによりネット空間にて伝えていく、そして、それが物理的な制約を超えて人を引き付けるという意義を有し、またこの意味がますます重要になる時代がやってきているのではないかと思います。