誰もが語り部の時代に成立した低予算番組
現代社会は高度化・複雑化しています。
これに伴い、人々の関心や生き方はどんどん多様になります。
さらに、人間の寿命が長寿化することにより、関心×経験年数を掛け合わせた多様化の度合いは益々増大します。
そしてSNSの出現により、メディアに取り上げられなくても、個人が関心や生き方を発信することができるようになりました。
これが誰もが語り部となる時代ですね。
昔は現代ほど長寿でもなく、また、生きる糧のために労働する度合いが大きかった時代です。
人々は毎日農作業に従事し、労働に追われていくうちに今よりも短い寿命を終えていく、という生き方が大半だったのではないかと思います。
そうすると自分と他人の生き方にそれ程大きな違いはなく、他人のそれを知りたいというニーズも今ほどはなかったものと思います。
しかし今や一億総発信時代、気軽に自分の関心や生き方を発信できるし、また興味のある人の発信を検索して知ることができます。
さて、このような、個人の関心や生き方を伝えることは、テレビ・新聞などの既存のメディアも得意とするところでした。
堅いところでいえばドキュメンタリー番組として(例:プロジェクトXなどのいまだ生存している人も含めた偉人伝)、気軽なところでは報道番組における箸休め的コーナー(例:100歳でお元気なおばあちゃんが市長から表彰)での取り上げ方ですね。
ところが、最近のテレビ番組を見ていると、バラエティーとして、また、特段何か特別な業績や取組があるわけでもない素人の関心や生き方を取り上げる番組が増えていると思います。
特に、テレビ東京は他のキー局に比べて予算の制約があるからか、素人を題材にした低予算(?)の番組作りがうまいと思います。
僕が好きな番組は以下の通りです。
昼メシ旅
日本各地を芸能人もしくはディレクターが歩いて回り、街頭、畑、店舗等で出会った人に話しかけ、何をしているのか聞き、その上で昼ご飯を見せてほしいとお願いするだけの番組。了承されると、その個人の家まで上がり込み、食事の様子を撮影しつつ、いろいろと話しを聞き出す。
家ついていっていいですか
ディレクターが終電近い時間帯の駅や飲み屋周辺で、帰宅しそうな人に話しかけ、家ついて言って良いかお願いする。了承されると、タクシー代とコンビニでの買い物代を番組が負担して、家までついていき、話を聞き出す。
Youは何しに日本へ
ディレクターが成田空港等の到着ロビーで外国人に話しかけ、何しに日本に来たのか聞き出し、面白そうであれば同行取材をお願いする。了承されると日本各地どこかで待ち合わせて取材。
昼飯、家、来日目的、きっかけは何でも良いのですが、とにかく外国人を含む素人に話しかけて、取材をさせてもらうという、どれもほとんど同じ手口で成り立っています。
素人相手のため、出演にギャラ(出演料)は必要なく(交通費程度)、コストをおさえつつ、題材は非常にバラエティに富んでいる(なぜなら、誰もが語り部となる時代であるから)という、非常に巧みな番組制作の戦略だなと思います。
また確かに見ていて面白いです。
特に従来のドキュメンタリーや報道との違いは、仕事や取り組んでいることを中心に取り上げるのではなく、その人の家までついていって、暮らしぶり、家族(の有無)などのプライベートな情報までが映像で明らかになるところでしょう。
どんな家に住んでいるのか、どんな配偶者がいるのか、またその配偶者とどういうコミュニケーションをとっているかなどの情報は、その人の生き様、関心、人格などについて多くの付随情報を与えてくれます。
芸能人の不倫や不祥事などのゴシップ情報は、いかに取材を極めても、家の中までや家族とのリアルのコミュニケーションを開示してくれるものではありません。
そういう意味では、他人の最もプライベートな領域まで入り込んでノンフィクションな情報を見られるものが、これらの素人を題材にした番組と言えます。
素人が生き様を見せるだけの番組が、俳優・芸人等の芸能人の演技(フィクション)やらプライベートの一部開示よりも、よほど面白いし、番組として成り立つ時代なのです。
また、素人の方もSNS発信の時代をむかえているからか、自らを開示することに躊躇しないようなってきているように見えます。
ただし、既存メディアは、個人のSNS発信などに比べれば圧倒的に予算力、企画力、広報力を有しており、個人の関心・生きざまという同じ素材を取り上げるにしても、その発信力、関心訴求力はけた違いです。
テレビ東京のこれらの番組は、既存メディアとSNSという新興メディアの移行期にうまくポジショニングされた企画だと思います(繰り返しますが、予算制約が一番の大きな理由かもしれませんが)。