買い物は決断することが多すぎる
最近気づいたんですが、買い物って苦痛ですね。
というか買い物が大嫌いかもしれないないです。
買い物って、まず、何を買って良いのかわからないです。
例えば洋服の買い物であれば、シャツを買わないといけない、パンツを買わないといけない、というニーズがあり、もちろんそのことは認識はしています。
じゃあ、シャツを買いに行こう、となった時に選択肢が多すぎませんか?。
まず、シャツのブランドを何にするのか、そしてどこの店舗で買うのか、決断しないといけないことが多すぎます。
まあ、僕はブランドを買うことはないので、あまり悩まずにユニクロに行きます。
でもユニクロだって、どこの店舗に何曜日に行くか決めないといけません。
ちなみに何曜日というのは、ユニクロは、週替わりでセール品が決まっているので、自分が買ったシャツが、実は来週セールになることが分かった日には、目も当てられないくらいのフラストレーションが発生します。
無事にユニクロの店舗に到着しても、サイズを決めて、一応試着もしますが、これまたなんだかんだで面倒くさいです。
そして、晴れて購入決定!
でもレジで支払いをする段階になっても、いざ支払いをするとなると、本当にこの決断で良かったのかどうか、頭の中はまだまだ逡巡したりします。
会計が終わってエコバッグにいれたシャツを家に持って帰るときに、なんでこんなものを肩に下げて帰らないといけないんだろう、身軽に歩きたいと考えると憂鬱になったりします。
さらに、シャツを家に持って帰った後、クローゼットの中のどこにしまおうと考え出すと、古いシャツは断捨離したほうが良いのかどうか、また、「一つ買ったら一つ捨てる」というルールをそういえば決めたなあなんてこと思い出し、一体どの古いシャツを捨てるべきか、なんてことを考え始めたら、これまたストレスです。
それだけでなく、そもそも本当にこのシャツで良かったのか、ユニクロではなく、他のブランドもあたっていたら、もっと品質が良くて安い製品があったんではないか、そんなこともぐるぐると頭をよぎったりします。
そして、家に着いていざシャツの値札や包装を捨てる時に、「これを捨ててしまえば、泣いても笑ってももう返品はできないんだ」と自分に言い聞かすこともストレスです。
とにかく買い物って、このように決断すべきことが多すぎませんか?
発達障害グレーゾーンにとっては、決断することが自体がとてもストレス中、決断の場面が多い買い物は、とてもストレスになっているんだなと気づきました。
これでは、買い物は楽しい、モノにも思い出、どころではありません。
これでも昔は、買い物は楽しいと思っていたこともありました。
でも、今から考えると楽しいと思いこんでいただけなのかも。買い物が終わった後はぐったりしていることが多かったです。
年を重ねるごとに、この傾向が強くなってきている気がします。
誰か、シャツを定期的に買ってきて、これを着ていればそれでオッケーと言ってほしい。
本当にそんな思いです。
とにかく負担を減らすために、最近は「柄もの、文字の入ったものは買わない。白、黒、青色以外のモノは買わない」などのルールを少しずつ自分の中に打ち立て、これに従うことで決断の負担を軽減しています。
それでも、実際に買い物の事前にネットで調べたり、店舗に行くと、このルールの範疇から外れた、魅力的な商品を見かけたりします。
広告・マーケティングに踊らされているわけです。
でもそれは僕のニーズ、ウォンツではありません。
そして、広告・マーケティングに踊らされそうになっている自分を戒めることも、これまたフラストレーションのたまるプロセスであったりします。
服だけの話ではありません。
毎日の夕食の材料をスーパーで買う時も、作った方が良いのか、総菜で済ませるのかから始まり、食べたいもの、体に良いもの、値段が高いもの、特売のモノなど、購入を判断する要素は多数あり、考え出すと無限ループにはまります。
総菜コーナーと鮮魚コーナーを何往復もする自分がいます。
ちなみに、最近、勝間和代さんがVoicyで、「最近好きなものしか食べないようにしている」という話をしていましたが、共感しました。
体に良いから野菜も買わないと、とか、今日は玉ねぎが特売だから買っておかないと、などと考え出すとだんだん訳が分からなくなってきます。
好きなものを一品だけ買い、あとは、家にあるもので済ませるというのもアリだなと思います。ちなみに勝間さんによると好きなものしか食べないと、少量で済むので、ダイエットにも良いらしいです。
選択肢が多いことは良いことだと思っていました。でも最近選択肢が多いことは、決断の負担に疲れるなと思い始めました。誰かが着るべきシャツを決めてくれればそれを着るし、そのまま出された食事も食べるし、という感じです。
そういえばアップルの創業者のジョブスも、毎朝何を着るべきか決断する時間がもったいないから、クローゼットの端から順番に着ていけばよいようにTシャツを並べていたと聞いたことがあります。今の僕はめっちゃ共感します。
人間のDNAは選択肢が多い状況・環境に未だ慣れていないのかもしれません。
昔は、着るものがある、食べるものがあるだけで幸運で、選択肢などなく、ほとんどすべてが一択というような環境だったでしょう。
現代社会が豊かになって初めて、選ぶことができるほどいろいろな製品・サービスが溢れて、選択肢の中から選択することが可能になったわけです。
それともこれは僕が発達障害グレーゾーンだからであり、定型発達の皆さんはやっぱり「うほっ、買い物ちょー楽しい!いろいろ考えて選び抜こう!」という感じなのでしょうか。