税所(さいしょ)の日記

IQ122(全検査数値)の高機能自閉症”グレーゾーン”の頭の中身。

【旅行記】釧路(市街のみです)

北海道の釧路に行ってきました。

道東には初上陸、と思っていたのですが、行ったことのある帯広もなんと道東に分類されるらしいですね。

え、でもそうすると、道央ってどこになるのでしょうか。

旭川富良野、帯広辺りは道央ってことで良いのではないでしょうか。

 

それはさておき、まずは基本データ。

釧路の人口は約16万5千人。

道東の拠点都市とされるには予想より少ない印象です。やはり北海道自体が人口少ないですからね。1200万の九州(沖縄を除く)に対して北海道は半分以下の500万。

拠点都市といっても、これくらいの人口です。

 

そして、地方都市にもれなく釧路の人口は減少している。

さらには、”道東”の同じく拠点都市である帯広と比較した場合、減少率は釧路の方が大きい。さらに、帯広に人口を奪われている。

北海道といえば、札幌の一極集中、札幌への人口流出というイメージですが、絶対数は大きくないながらも、釧路から帯広への流出というルートもあるそうです。

そして、2020年末にはついに、帯広の人口16万5670人が釧路の人口16万5667人を非常な僅差(3人!)で抜いてしまいました。

これで、道内人口ランキングは、札幌、旭川、函館、苫小牧、帯広、釧路の順になり、釧路は人口第6位に転落することに。

釧路は水産、石炭、紙パルプの街。斜陽産業である石炭を抱えている点が影響している。

また紙パルプについても、地元の大きな雇用の受け皿である日本製紙が釧路工場から撤退予定らしく、数百人規模の配置転換が想定されるので、人口には逆風が続く。

水産は、水産資源の枯渇が影響なんでしょうか。

さて、僕の搭乗したJAL543便は羽田12:45発。

右の窓側席に座ったところ、眼下というか窓を覗き込んだ真下に仙台空港三陸リアス式海岸が判別できた後、やや進路を右よりにとって太平洋に出て釧路を目指す。

ちなみに、アナウンスで、機体左側に蔵王が良く見えると案内があったが、右手窓側に座っていたので確認できなかった。

釧路空港(たんちょう釧路空港)到着後は、バスで釧路駅前まで約1時間(950円)。

宿泊はコンフォートホテル釧路(税込み朝食付き4410円)。駅から徒歩3分くらいで便利です。空港バスの発着場のすぐ近くです。

ただし、駅前にはホテルが乱立しているので選択肢は多いと思います。

ホテルは、そこそこ新しくてきれい。それ以外はこれ以上特徴を押し殺すことはできないのではないかというくらい特徴のないビジネスホテル。大浴場はなし。一階朝食会場では、午後はコーヒーとレモンフレーバーの水は無料提供。

部屋に荷物を置いて外に出て気づいたのは全体的に霧がかかっている街並み。

釧路は霧の街なんですね。ロンドン、サンフランシスコ、釧路が世界三大霧の街(なわけない!)。

寒くはないものの、強めの涼しさといった感じの気温。

まずはJR釧路駅の確認。駅ビルは4階建ての建物。駅ビルといっても、2階以上は電気もほとんどついておらず、建物自体が老朽化して何に使われているのかよくわからない様子が異様な佇まいを醸していた。

駅ビルの1階に商業施設が数軒(22時閉店のセブンイレブン、弁当・お土産物屋、レストラン)と改札口がある程度。

釧路駅に乗り入れる路線は電化されていないので電車ではなく、ディーゼル車の発着。札幌方面には特急おおぞらが一日数本があるようです。また普通電車は帯広まで。

あとは網走方面に行く釧網線と、根室方面に行く根室本線花咲線

駅から南方向に延びる大きな通りが北大通(ほくだいどおり、と読みそうになるが、きたおおどおり、です)。

10分ほど歩くと幣舞橋(ヌサマイばし)に到着。釧路の観光風景の画像としてよく使われる釧路川にかかる橋がこれ。ヌサマイはアイヌ語が源の名称。

観光名所らしく橋のたもとには観光案内所があったので、パイプ椅子に座って小説を読みふけっているスタッフ(おじいちゃん)に話しかけてみると、橋の向こう岸の小高い丘の上にある生涯学習センター「まなぼっと幣舞」の最上階(10階)が展望台であると教えてくれる。

あと、東日本大震災の際は、釧路川にも津波が押し寄せたことを教えてくれた。

展望台まであがるも、霧のため全く見通せない状況なので、早々に退散し、幣舞橋の反対側に戻り、フィッシャーマンズワーフ施設を覗き、駅方向に戻る。

駅から徒歩5分くらいのところには、和商市場という市場があり、海産物を観光客に売っている様子。海鮮丼などを食べられるレストランもあるほか、「勝手丼」という、市場の店で材料を仕入れて持ち込むと、捌いて調理して、ごはん・味噌汁・小鉢をつけて提供してくれるシステムもあるらしい。

一人旅では外食も億劫になることが多く、結局駅ビルのセブンイレブンで酒とつまみを買ってホテルで食べることにした。

ちなみに、北海道のコンビニと言えばセイコーマート。和商市場にはセイコーマートが併設されていたが、幣舞橋近辺や釧路駅前ではセブンイレブンとローソンが多い印象。

さて、夜は地元の方とお会いする機会あり。いろいろ教えてもらったので備忘録。

釧路駅前は釧路市になるが、その北側に釧路町という自治体もあり。釧路町釧路市に合併したがらない。釧路町にはイオンもあり財政が釧路町の方が潤沢。釧路駅前が衰退をしている一因(地元の人はJRを使わない。住む場所も駅前にこだわらないので、釧路町に住む)。

・釧路から網走の間に自然観光資源が多くあり、釧路はこれら観光の拠点。有名なのは釧路湿原、阿寒湖、動物園等。釧路市だけ見て帰る人は珍しい(そうでしょうね汗)。

・この間たまたま帯広に出張してきたが、帯広駅はきれい。帯広市は音更長、芽室町幕別町という衛星都市的な自治体が周りを取り囲み、都市圏的な発展が進んでいる。

・釧路での名物はスパかつ(スパゲティの上にとんかつがのっている?)。またそば。東屋が良い。のれん分けしているので市内にいくつかある。和商市場の勝手丼は完全に観光客向けであり、すぐに3~4千円になるので要注意。普通に海鮮丼などを食べることで良い。コンフォートホテル前にある居酒屋酒楽のランチ500円も地元の人には人気。

・幣舞橋もコロナ禍前のインバウンド観光ブームの際は外国人観光客でごった返していた(想像がつかない)。

霧の街というのが今回、一番の発見だった。まあ、釧路湿原が有名なくらいですから。

晴天になるのはむしろ冬の時期のよう。カラッと晴れた大地、とはまた別のイメージの北海道があることに気づかされた旅でした。

 

 

 

 

「モノより思い出」なんじゃなくて「モノにも思い出」

「モノより思い出」という言い方がありましたが、モノだって単なる物理的な物体ではなく、所有者である本人にとっては思い出なんですね。

シニアが人生でため込んできたモノの”断捨離”に苦闘する番組を見て感じました。

カナダのテレビ番組でした。

ちなみに、断捨離、コンマリなど、片づけブームですが、そんな外圧がないと家の中にモノが溢れてなかなか片付かないのは、先進国共通の悩みなのかしれません。

登場するカナダのシニアの家はそれぞれモノにあふれています。

ジャマイカ系カナダ人の90歳の女性は、3人の娘が自分のモノを勝手に片づけていく様子を、不自由になってきた体をソファに沈めて不満げに眺めています。

香港から移民した60歳過ぎのシニアの男性は、引っ越しを決断したものの、引っ越し先に入りきらないモノの処分に悩み始めます。

最後の女性も大きな一軒家から引っ越すに際し、亡き夫との思い出に詰まった家具に緑のテープを次々と貼ってしまいます(業者からの指示で、持っていくものには緑のテープ、持っていかないものには赤いテープを貼ることになっています)。

 なぜ人はモノにスペースを侵食され、また、これほどまでに何年も経ってもなかなか捨てることができないのでしょうか。

一番考えられるのは、お金を払って買ったんだからもったいないという動機でしょう。僕もそれは一番に考えます。

でもそれだけでもないんだろうなと感じました。

モノにも思い出が詰まっているんです。

もちろん、百円ショップで買ったような安い生活用品は、必要性にかられて購入しただけで、思い入れや思い出、こだわりはないかもしれません。

それでも購入の時には、便利になる生活を思い描き、値段と効用(得られるベネフィット)を天秤にかけ、自分にとって有益であるから決断したと思います。それはその人にしかわからないストーリーのはずです。

百円ショップで買ったものでさえそうだとすると、もっと高額な購入品には当然のことながら、さらに思い出深いストーリーがついて回っているはずです。

人はこの思い出、思い入れやストーリーを覚えているから、捨てられないのでしょう。

そして、それらの思い出、思い出やストーリーは基本的には本人にしかわかりません。

だからこそ、傍から見たら、どう考えても不要なもの、時代遅れなものでも本人にとっては捨てられないことが多々あるのだと思います。

また、物には自分が何が好きで、さらに突き詰めていくと自分が何者であるかの確認方法や表現方法という側面もあると思います。

例えば百円ショップで購入したキッチングッズ(でも何でも良いですが)の色が、なぜ黄色でなく赤なのか。黄色も売っていたのなぜわざわざ赤い方を選んだ理由は、赤がもともと好きという本人の嗜好が反映されています。

私たちはモノを購入するにあたり、自分が何を好きなのか、また自分はどういう嗜好・考えを持っているのか確認していることがあると思います。

洋服の広告が「自分らしい装い」、住宅の広告が「好きが詰まった家」といって消費を迫ってくるのは、売る側はモノのこのような機能をよく知っているからです。

だから買い物は楽しいのです。

さらには、骨とう品やアンティークが古いのに価値が出るのは、歴史の中に自分が一部として位置づけられるという価値も見出しているのでしょう。

ところで、冒頭のテレビ番組のカナダの男性は、亡き妻の親類縁者(カナダでは名門一族らしいです)が亡くなるごとに、その遺贈品(骨董品)を受け取り、あふれた遺贈品を外部倉庫に保管しておくために、20年間にわたりなんと毎月20万円も倉庫代として支払っていたそうです。

ところが、彼は倉庫にある多くの段ボール箱の中に一体何が入っているのか知らずさえいて、途方に暮れて、古物商に鑑定を依頼したりします。

彼にとっては、何が入っているのか知らないくらいなので、これらの遺贈品にモノとして思い入れがあるわけではないでしょう。自分の嗜好や考えを、これらのモノに反映させているのではないです。

一方で、彼にとってのこれらのモノの意味は、愛した妻(けど亡くなってしまった)の血縁者が亡くなるたびに、その遺品を毎回受け取り、長年保管してきたという妻との思い出・ストーリー・誇りこそが捨てられない原因なのでしょう。

さて、どんなに思い入れやストーリーがあったとしても、物には制約があります。

まずは、この男性のように、モノは場所をとり、管理しきれない問題が生じます。スペース的に管理しきれないだけでなく、そもそも何があったかさえも把握できないという問題も生じます。

さらに日用品であれば棄損・劣化していきます。

こうして、モノは他人だけでなく老いた自分にも迷惑をかけ始める存在となります。

特に先進国を始めとして高齢化が進展して人が生きる時間が長くなると、累積したモノの数は多くなり、また、長い時間を経る中で劣化や忘れられる度合いも大きくなっていきます。

これらに私たちはどのように対処すべきでしょうか。

物は思い出、物は自分が何者であるかの確認方法・表現方法だと述べました。

そうであれば、その思い出と表現方法だけを残すようなサービスがあれば、断捨離はよりスムーズにいくのではないかもしれません。

例えば、断捨離の際に捨てるかどうかどうしても悩むものがあれば、画像に撮って、ストーリーを付け加えて、いつでもネットで閲覧できるようなアプリの開発などが考えられるかもしれません。

これはモノの物理的な側面だけを除去し、思い出や思い入れという側面だけを残す方法です。

このようにすれば捨てた後でも、アプリを通して、思い出や思い入れを見返すことができます。また、捨てないで、他の人に譲った場合、譲られた人にこのような情報を共有することも良いかもしれません。

さて、冒頭のカナダのテレビ番組の原題は、「ダウンサイジングの美学(アート)」でした。

モノを片付けることをアートとして表現するためにも、テクノロジーが活躍する場があるのではと思います。

FIREブームの本質はメンバーシップ型雇用の嫌悪

早期リタイアを実現する「FIREファイアFinancial IndependenceRetire Early)」がブームになっています。

僕も非常に興味があるので、FIREを達成した人のSNSなどをよく見ます。

 

その中で、これまではFIREを達成するため、いかに金融資産を積み上げるかの手法・情報、つまりFIREのFIに注目していましたが、FIREを達成した後に、毎日何をしているのかという、FIREのREの方に目がいくようになりました。

Retireなので、基本的には労働からは解放されて、毎日遊ぶ、何もしない、イメージです。しかし、REの実態は傾向は以下のようにまとめられるかと思います。

 

1.ほぼ全ての人がブログを書いている

基本的に発信のプラットフォームとして、FIRE達成後もブログを書いています。

ツイッターYoutube、Voicyなどの他のSNSをやっている人でも、ブログを併用していることが多いです。

また、ブログ自体がリタイア後の収益源になっていることもあります。

ブログは、比較的手軽に更新できるSNSとして、リタイア生活にリズムを与えるという意味では相性が良いのかもしれません。

 

2.何らかの労働はしている

リタイアと言っても、完全に働くことをやめるわけではなく、多様な労働を行っていることがわかります。

ただし、本当に多様です。

金融資産をそこそこ持っていても、小銭を稼ぐために日雇い労働的なことをやっている人もいれば、現役時代の職務経験を生かして単発で稼ぐ人、さらには、上記の通りブログを始めとしたSNSで稼ぐ人などいろいろです。

テレビで取り上げられていた人で、自転車が趣味らしいのですが、Uber eatsで趣味と実益を兼ねて配達で稼いでいると言っていました。

 

3.資格取得に走る人もいる

結構意外だったのが、せっかく(?)リタイアしたのに資格取得を目指す人がいることでした。

大手企業を辞めて、前職とは全く関係のないガテン系の資格(除雪機械運転員資格基準)を目指す人もいます。また公務員をやっていた人で、社会保険労務士の資格を目指している人もいます。

ただし、この資格で食べていくんだ、というよう決意や必要性があるわけではなく、あくまでも短時間で稼ぐため、もしくは、地域に貢献したいというもう少し軽い動機からのようです。

 

4.時間を自由に使える主体性を取り戻したかったという動機を語る人が多い

なぜ、FIREを目指したのかという動機として、「ゆっくり寝たかった」、「好きなだけゲームをしたかった」、などの時間の主体的管理の可能性を語る人が多いです。

このためFIRE後に労働を行うとしても、あくまでも、短時間であったり、自分の裁量で時間を区切った形態で労働する人が多いようです。

 

FIREの本質は4.の時間を主体性を取り戻すことではないでしょうか。

FIRE後に、金融資産があっても、それなりに働いていること、また、資格取得を目指す人までいることは、労働自体はそれ程苦にしていないことを物語っているのではないかと思います。

このことは、つまり日本のメンバーシップ型雇用における「職務内容、勤務地、異動の有無には文句は言えない」という正規職員の時間の主体性を奪われるデメリットを、多くの人が嫌悪していることを示しているに他ならないと思います。

ただし、SNSで発信しているFIRE達成者だけから把握した傾向なので、積極的に発信していないFIRE達成者の中には、本当になにもしないで暮らしている人もいるのかもしれません。

それでも、やはり、労働は人間にDNAレベルで組み込まれているものだとすると、また、人間には承認欲求があるため、FIRE後に金銭的動機ではないとしても何をするかを決めておくことが、スムースなFIREへの移行に役立つのではないかと思います。

 

 

狭い部屋にこそ大きな家具を(ソファダイニングが最高です)

ワンルームマンションで、在宅勤務をしています。

 

広さは21平米くらい、典型的なワンルームで広さは22平米くらいです。狭いです。生活するには全般的に狭いのでもちろん不満があります。

洗面台は半独立でトイレと風呂の脱衣場を兼ねていたりします。

室内洗濯機置き場は玄関の開き扉の中です。

ただし、都心5区で、立地が抜群によいので、立地重視です。

 

昨年コロナ禍になり、勤め先が在宅勤務になった時は焦りました。

デスクもチェアもなかったので、ニトリに走りました。

ところが、緊急事態宣言が初めて出ている中、皆さん考えることは同じですね。

ニトリでは、商品が色々品薄になっていた気がします。

ちなみに緊急事態宣言でも開店していたニトリには感謝。

というか、稼ぎ時に敏いニトリということでしょうか。

 

そのような中でしたが、色々悩み、また、新宿店、渋谷店、さらには郊外の店舗にまで出張って結局決めたのが、デスクとチェアではなく、ソファとテーブルの購入です。

理由は、デスクとチェアを買ってしまうと、仕事はそこですれば良いとして、食事はどうするんだ!?となります。

デスクとチェアで食べることはできますが、若干落ち着きません。

だからといえ、ワンルームにデスク/チェア、テーブル/ソファの双方を入れることは広さ上無理です。

 

そこで、テーブル/ソファを優先することにしました。そしてデスク/チェアはあきらめる。あきらめる、というか、テーブル/ソファで仕事をすることにしました。

さらび、通常ソファにはローテーブルを合わせますが、普通のテーブルを合わせることにしました。

ますは、そのテーブルがこちらです。

 

 


テーブル 折りたたみテーブル 折りたたみ 軽量 折りたたみデスク(フレッタ DBR) 無地 シンプル ベーシック ブラウン スチール パソコンデスク PCデスク ワークデスク テーブル テレワーク 在宅 折りたたみ テーブル ニトリ 【玄関先迄納品】

 

はい、かなりチープなものではあります。

当時のニトリで売っている最も安価なテーブルだと思います。

安さはもちろん目的でしたが、大きさ(コンパクトであること)と折りたためること(引っ越し想定)も重視して決めました。 

それでも、渋谷店では品切れのところ、郊外店まで行けばあります、と店員にいわれたので、わざわざ足を運んだら、品切れと言われたので事情を説明したら(半分クレーム)、どこからか優先的に確保してくれて、送料無料で送付してくれました。

それにしても、2000円でこのクオリティは、1年たった今でもものすごいコストパフォマンスの良さだと思います。

当時は、ソファに合わせるので、くつろぐときのためのローテーブルも兼ねるように昇降式テーブルも検討したのですが、1万円以上もする昇降式テーブルより、このテーブルを買って大正解でした。昇降なんて面倒くさいことする必要ないし、高さ固定で十分です。

 

また、このテーブルに合わせて買ったソファはこちらです。

 
2人用布張りソファ (エイミー) ニトリ 【玄関先迄納品】 【1年保証】

 

こちらもニトリの2人用ソファでは一番安いものではないかと思います。

ポイントは2人用という点です。狭いワンルームだと、安易に一人用ソファや座椅子を選ぶ発想になりがちです。

しかしそこをあえて2人用にすることで、余裕をもって座れることができ、また勤務も食事もくつろぎもこれ一つでまかなえるようにしました。

これも大正解でした。

確かに、PCが置いてあるテーブルで、仕事もして、その後片づけて食事もって、ちょっと最初は抵抗あったのですが、慣れます。

そして、慣れよりも何も、特にテレビをテーブルを挟んだ対面に配置しているため、結局、ここが1番快適で何をするにも心地よくなります。

ソファの横にサイドテーブルを置き、テレビのリモコンやペンなどの小物、また、スマホの充電も行えば、全てが手を伸ばす範囲に配置されて、動く必要がありません。

手が届く範囲に何でもあった学生の時の一人暮らしに戻っていますが、150平米のマンションに住んだ時も、結局ソファで食事をしていたことを思い出すと、一人暮らしではダイニングとリビングはわけなくてソファダイニングで兼用するのが良いのではと思います。

ワンルームとなると、あまり大きな家具を入れると圧迫感があると想像して、座椅子、一人用ソファなどで済まそうという発想がわきがちです。

でも狭いワンルームだからこそ、二人用ソファをどんと入れて、ここをあらゆる生活の居場所としたことは正解でした。

ちまちました家具を買うより、狭い部屋にこそ大きな家具を少数入れて、スペースを区切ることによりメリハリをつけた方が良いと思います。

また在宅勤務用に書斎スペースにオフィスっぽいデスクとチェアを買うより、ソファダイニングとする方が快適かもしれません。

テレビとスマホもあればほぼ一日中過ごせます。

 

なお、僕のようなチープなセットでも十分快適に過ごせることがわかりましたが、もちろんお高いもの高級なものもたくさんあると思いますので、広い家でも実践可能です。

例えばこんな感じですね。


ヴィンテージ風 リビングダイニングテーブル3点セット REGALD リガルド テーブル幅130 2人掛けソファ 2人掛け左アームソファ ダイニングテーブルセット ダイニングセット テーブルダイニングセット おしゃれ リビング テーブル ソファー ソファ セット 500028278

 

最後に、僕の使っている2人用布張りソファ (エイミー) ニトリ 【玄関先迄納品】 【1年保証】のメリットは、座面の下に空間があるということです。高さがあるので、狭いワンルームで上下の空間を有効活用しているとともに、ソファの下の掃除もしやすいというメリットも、購入後に気づきました。

座面の下がふかふかで厚いものは、ワンルームには避けた方が良いかもしれません。

誰もが語り部になる時代

テレビを見ていたら、静岡で徳川家康語り部をやっているという女性がいました。ちらっとしか見なかったので、詳しくはよくわかりませんが、徳川家康人間性を崇拝していて、いろんな人に伝えたくて仕方がない、という感じが良くわかりました。

僕は徳川家康にはほとんど関心がありません。このため、この女性を見た感想は、まず人間の関心って本当に多様だなということですが、本題はどちらかというと、語ることがある人は強いなとおもわされたことです。

語れる人、もしくはストーリーテラーは人をひきつけます。徳川家康に関心があれば、その内容に引き付けられますし、関心がなくても、この人はどうして家康に関心があるんだろうと考えさせられることになります。

すくなくとも何も語らないひとよりは、人を引き付けることは確実です。

ところで、「語り部」と聞くと、僕は真っ先に、戦争の悲惨さを後世に伝えるために、被爆者の方が学校を回り、若い人たちに如何に戦争が悲惨であり、また、原爆の被害が恐ろしいかを伝える姿を思い浮かべます。

それくらい、「語り部」というのは、(特にネガティブな)特別な経験をした人が信念に突き動かされて、その経験を語るためにやるというイメージがあったのですが、この徳川家康語り部の人を見て、考えが改まりました。

まず、個々人の関心が多様であることは昔からの人間の特性で変化はないかもしれません。家康に関心がある人、ない人、はそれぞれ昔もいたと思います。

ところが、現代社会はどんどん複雑化・高度化していきます。そうすると人々の関心の向き先が増えていることになります。関心が細分化されます。

そして、人々の生き方も急速に多様化すると、生きていくうえで得られる経験もさらに多様化します。また人々の生き方は関心に作用されて方向付けられていくことも多いでしょう。

そして、これを関心×経験の掛け算で考えると、個人が語れることは等比級的に数を増やしていっていることとなります。

とこが、これだけでは、まだまだ誰もが語り部になれるわけではありません。

徳川家康語り部の女性は、家康のゆかりの地である静岡で、カフェかなんかを開いて人々に語っているようでした。そこには、家康にある程度関心がある人が集まってくるでしょう。

また、原爆の語り部は基本的には広島や長崎を中心に活動していると思います。広島や長崎であれば、市役所や教育委員会が中心に、市民や学生のために語り部が語る機会を設けるなどのアレンジも、定期的に行われるのだと思います。

このように従来の語り部は聞いてくれる人が、物理的に集まることで成り立ちました。

しかし、例えば遠方に関心がある人にはアクセスできなかったのです。北海道に住む徳川家康ファンは基本的には静岡まで旅行しないと、家康の語り部の話は聞けないし、いわんをや語り部の存在にすら気づかなかったかもしれません。

それを変えたのが、SNSの発達です。このブログもそうですし、動画、音声などで個人が発信できる環境が整ったことで、誰もが聞いてくれる人を持つこと、すなわち語り部稼業ができるようになりました。

もちろん、語り部として発見されて、また、語る内容を評価してくれるかどうかは別の話ですが、少なくとも環境は整ったということです。

最後に語り部というと、依然として、「後世に伝承していくため」というイメージがあり大げさかもしれません。

後世に伝承する必要はなくても、自分の考えをリアルだけでなく、SNSによりネット空間にて伝えていく、そして、それが物理的な制約を超えて人を引き付けるという意義を有し、またこの意味がますます重要になる時代がやってきているのではないかと思います。

 

文書作成においてとても大事なこと

1.文書に日付を入れる。

文書がいつのものかわかるように、日付を絶対いれましょう。入れる場所はどこでも良いですが、右肩が一般的です。

 

また、日付の形式は西暦であれば、2021年5月11日でも、21/05/11でも何でも良いと思います。ただし元号はやめておきましょう。

平成8年、、とかいわれても、何年前だっけ?、とかすぐにわからなくて計算し直さないといけないので面倒です。。ないよりはましですが。。

 

ちなみに、日付の入っていない文書は読み手の信頼を損ねるので非常にもったいないです。たとえば、「アメリカ経済の分析」というタイトルの文書があったとしても、1990年の分析なのか、2006年の分析なのかでは大違いです。どんなに素晴らしい分析であったとしても、読まれなくなってしまうのではもったいない。

 

2.ページ数も入れる

ページ数も必ず入れましょう。

その文書を上司など他人に説明する機会が必ずあります。その時に、「ここに記載しているように」と説明しても、「何ページですか?」と聞きなおされることになります。

その時に、「え~と」といってページの数を一枚目から数えなおしていたら、上司やその他の人の時間を浪費させてしまうことになります。またそんなことしていたら、説明しようと思っていたことも自分の頭から飛んでしまいます。

マイクロソフトのワードなどでは、ページ数がデフォルトで入っていてもいいくらいだと思います。逆にページ数の不要な文書ってあるのでしょうか?

なお、パワーポイントでのプレゼンテーションでも、プレゼン内容は凝っているのに、ページ数を入れるのを忘れがちですので、気をつけましょう。

 

3.結論は最初に!?

文書の構成は、基本的には、背景、経緯などの項目から始まり、結論は後に書かれることが多いです。特に日本語の文書はこういう形式が多いと思います。

一方で、例外として、決裁や稟議書があります。冒頭に「決裁事項:●●を●●することとする」と結論から始めます。これを見たとき、わかりやすいなあと思いました。

このため、個人的には結論が冒頭に出てくる文書が好きです。ただし、これは組織の慣習や文書の種類にもよりますので、そこは柔軟に対応することでよいと思います。ただし、結論は必ずどこかには入れましょう。

 

4.接続詞を上手に活用する。

接続詞を使うと文書にリズムが生まれます。特に使えるとおもっているのは、「ついては」、「ちなみに」、「なお」、「一方で」などの接続詞です。

「ついては」:結論を書く際に前につけると、読み手にここが結論なだなと予見させることができて便利です。

「ちなみに」説明する中で、サイド情報を説明する時につける。これがあると、まあ、読み飛ばしても良いな、と思わせる。

「なお」説明する中で、きちんと追加で理解してもらわないといけないことに使用。

「一方で」それまでの説明とは対立する事項を説明する際につけるとわかりやすいです。

 

5.句読点を適切につける

句点「。」は忘れることはないと思いますが、これまでの経験上、読点「、」をどれくらい入れるかは、かなり個人差ががあります。

熱意にあふれる人ほど、一文が長く、また読点がまったくなかったりして読みにくいことが多いです。また、そのような読みにくい文章に限って、改行もせずに続くことさえあります。

オススメなのは、文章を書いたら、自分で音読してチェックしてみることです。そうすると、どこで読点をいれれば読み手がより理解しやすいかわかると思います。

 

皆さんのよりわかりやすい文書作成の参考となれば幸いです。